子どものころ、実家の庭に1匹の野良猫がやってきました。母親は冷蔵庫にある食べ物を気まぐれに与えていました。そのうちその猫のお腹が大きくなりました。やがてその猫は生まれたばかりの子猫を2匹連れて庭に現れました。母親は子猫のために小皿に牛乳を入れたり、猫用のキャットフードを買ってきて餌を与え始めました。それから3匹の猫は毎日、庭に来るようになりました。母親は猫たちが寒い冬を過ごせるように、軒下に毛布を敷いて簡単な“猫小屋”を作りました。ただ、3匹の猫に餌を与えたり、糞の始末はしましたが、家の中には入れませんでした。母親はそもそも動物は嫌いでしたし、家の中が汚れることを嫌がっていたのです。そのため母親は、毎日親猫に言い聞かせていました。
「お前の子どもたちは、大人になるまではうちの庭で育ててあげるけど、うちでは3匹を飼うことはできないからね。だから早くお前には出て行ってもらいたいんだよ」
しばらくすると親猫は庭に来なくなりました。家の近所でもまったく見かけません。それでも2匹の子猫は毎日庭に現れては、朝晩の餌を母親からもらいました。そして2匹の猫はすくすくと成長してすぐに大きくなりました。やがて2匹のうちの1匹のお腹が大きくなりました。そして親猫になった猫がまた子猫を1匹家に連れてきました。そして母親はまた同じ言葉を親猫に言い聞かせました。
「うちでは3匹の猫を飼うことはできないから、子供が大きくなったらお前も出ていくんだよ」
そして子猫が成長すると親猫は庭に現れなくなりました。家の庭には成長した子猫と、親猫の兄弟の2匹が残りました。それから時間が経過して、親猫の兄弟もだんだん年を取ってきました。するとこの猫はいつの間にかどこかへいなくなって戻ってきませんでした。残った1匹の猫はやがて自分の親と同じように、子猫を連れてきて、子猫はうちの庭で育ち、いつの間にか自分はいなくなりました。そしていつしかうちの庭から猫はいなくなりました。
サケは、冬に川の上流にある川底の砂利の中で生まれます。そしてここで稚魚まで成長すると、川を下って海へ出ます。海で3年から5年を過ごしたサケは、やがて生まれ故郷の川に戻り、卵を産むために川を上ります。そして上流まで来ると川底から湧水が出ているような場所を探して、そこに卵を産むためのくぼみを掘ります。そこでメスはオスと寄り添いながら産卵して、オスはそこに放射します。川底の石に全身を打たれ、川の流れに負けずに全力で遡上して産卵・放射したサケは、そこで力尽きて、産卵後7日から10日で死んでしまいます。自分の命を犠牲にして、命を次の代へつないでいくのです。私は実家の庭にやってきてはいなくなった親猫たちに、サケが次の代へ命のバトンを渡しているような感覚を覚えました。
しかし、私はふと思いました。うちの庭を出ていなくなった猫たちはいったいどこへ消えてしまったのでしょうか。子供のころの遊び場は、おのずと家の近くになります。ですから私は猫がいなくなったころの近所の様子はくまなく目に入っています。しかし、猫の姿も猫の死体も見かけたことは一度もないのです。
“猫は死期が近づくと死に場所を探していなくなる”
という人がいます。誇り高い猫は自分の亡骸を人には見せないという考えです。他にも
“死期が近づいて体が弱ってきた猫は、敵から身を守るために、人目に付かない場所に身を隠す”
という説もあります。さらには
“そもそも猫は「死」という概念は持っていない”
という人もいます。どの考えも、所詮は“猫ではない人間”が考えたことですから、どれが正解なのか、或いは別に答えがあるのかはわかりません。しかし、私の実家は横浜市街の住宅地にあります。近くには猫が自分の亡骸を隠せるような山はまったくないのです。それにも関わらず、猫たちは母親の言うことを聞いて、安全で餌の心配のない実家の庭を出てどこかへ消えているのです。いったい猫たちはどこへいってしまったのでしょうか。(2)へ続く。