私は相談者に、この人が祀っている祭壇と人形の画像、そして相談者自身の画像を送信してもらいました。私が確認した3点の画像はどれもがかなり強い悪念と怨念に包まれていました。このようなものを身近に置いて、さらに意思疎通をしている人が近くにいれば、周囲の人にも災いが及ぶのは必然です。ですから私からすると、この人形は相談者の願いを受け止めて、自分の意志によって恨みの対象者に災いをもたらしたのではありません。悪念の権化のようなものですから、その近くにいれば誰にでも不幸は訪れます。そしてその不幸は近くにいる人に感染するものなのです。その結果、相談者の周りに不幸になる人が現れたのです。ですから意志の働いていないこの人形は非常に醜悪なものですが、”呪いの人形“ではありません。
実際、相談者は「この人形が自分の願いを聞き届けてくれて、嫌いだった4人が不幸になった」と思っています。しかし、自分が気づいていないだけで、“会社で倒れるほど”自分の体は蝕まれていたのです。そして心は自分で人形に縛り付けて、普通の社会生活が送れないところまで追い込まれてしまったのです。嫌いな人たちの不幸を喜んでいた相談者自身に、実は大きな不幸がのしかかっていたのです。“人を呪わば穴2つ”と言う言葉があります。ここでいう「穴」とは墓穴のことです。人を呪い、その人の不幸を願っていると、知らず知らずのうちに、“自分の墓穴が掘られてしまう”という戒めです。私流の解釈をすれば、誰かを憎んだり呪ったりして、生霊(念)を飛ばすとします。その念は相手へ向けて飛んでいくと同時に、一番近くにいる人間にも刺さってしまうのです。それは呪っている自分自身です。ですから昔、呪詛をして人を呪っていた陰陽師は、呪詛を実行する前に、自分用の墓穴を用意したと言われています。それがこの言葉の由来です。
そう考えると、この相談者が悪念の塊となったこの人形を崇め奉り、毎日祈りを捧げていることは、日々、自分で自分の首を絞めていることに他ならないのです。悪念の渦の中に、自ら進んで飛び込んで、その流れに巻かれて身動きが取れなくなっているのです。ですから医師や上司が言うように、この人形と祭壇を破壊しなければ、相談者の状態は改善できません。ただそれを無理矢理実行しようとしても、洗脳状態になっている相談者が必死で抵抗してくることは見えています。そうかといって留守のうちに家族に言って、強引に撤去させたりすれば、逆に取り返しのつかないことになります。相談者の心の大部分を占めていた“心の拠り所”が一気に失われて、それを取り戻すことは生涯できません。人形を裏切った自分は必ず、天罰を受けるという“罪悪感”に生涯苛まれながら生きていくことになります。破壊した人形も祭壇も復元できませんから、相談者の心も元の正常な状態に戻ることも無くなるのです。
私は相談者に話しました。
「この人形には魂がこもっています。その力が、あなたの人を憎む思いと結びついて、不幸な出来事があなたの周囲で起きていたのです。しかし今、この人形はあなたの手を離れて、暴走を始めています。もうあなたがどれだけ祈っても、何を供えても、あなたが制御することはできません。そして暴走を始めた人形の魂は、あなたが恐れている通り、やがてあなたをも飲み込んでしまうでしょう。そうなればあなたは苦しみのどん底の中で息絶えていくでしょう。そうなる前に、この人形の魂を高い次元へ上げてしまいましょう。私がこれから魂を昇華させるマントラを唱えます。あなたはこの人形に、今まであなたの願いを叶えてくれたことの感謝を込めて、“今までありがとうございました。どうぞ高い次元まで上がってください”と念じ続けてください。そうすることによって人形の魂は救われて天へ向かって上がっていきます。いいですね」
相談者は私の話に黙って大きくうなずきました。そして、1時間ほどマントラを唱えてから、私はもう一度、相談者に話しました。
「人形の魂は、今納得して天へ上がって行きました。もうこの祭壇には何も残っていません。ただの抜け殻です。魂は完全に抜けていますから、この祭壇にあなたが込めた思いも、煙にして天へ上げてしまいましょう」
私はそう言って、相談者と一緒にこの人形と手作りの祭壇を焼却施設で燃やして、煙の行方をずっと見送りました。不幸の源となった人形と祭壇が無くなったことで、相談者の状態は、目に見えて回復していったのです。