私は今も町の草野球チームに入っています。子供のころは少年野球チームに入っていたこともあって、野球は大好きです。私は横浜市出身ですが、横浜にはプロ野球「横浜ベイスターズ」があります。日本にプロ野球リーグが誕生したのは、1936年2月5日です。その時は「東京巨人軍」「大阪タイガース」「名古屋軍」「東京セネタース」「阪急軍」「大東京軍」「名古屋金鯱軍」の7チームでプロ野球リーグが発足したのです。それから参加チームの変遷を経て、1949年に「日本野球連盟」が「セリーグ」と「パリーグ」に分裂しました。その時に今の「セリーグ」には、「読売ジャイアンツ」「松竹ロビンズ」「大阪タイガース」「広島カープ」「中日ドラゴンズ」「西日本パイレーツ」「大洋ホエールズ」の7チームが参加しました。そして1953年に「大洋ホエールズ」は「松竹ロビンズ」と合併して社名を「株式会社大洋松竹球団」と改称しました。その後、松竹が球団から抜けてチームは「株式会社大洋球団」に戻りました。それから1978年に本拠地が「川崎球場」から「横浜スタジアム」に移転したのをきっかけに「横浜大洋ホエールズ」が誕生しました。そして2011年に球団の株式がDenaに譲渡されて、商号変更により「横浜Denaベイスターズ」が誕生したのです。私は熱狂的な「ベイスターズ」ファンではありません。ただ、自分の住んでいる町にプロ野球球団が移転してきましたので、「ベイスターズ」が横浜にやってきた1978年からこのチームを応援しています。このチームは決して強いチームではありません。私がこのチームを応援してきた44年間で、日本一になったのは1998年の1回だけです。負けた試合ばかりを見せられて愚痴を言いながら観戦することの多いチームです。それでも年に何回かは気晴らしを兼ねて「横浜スタジアム」まで出かけています。

 以前、「ベイスターズ」ファンの友人と二人でナイターを観に行きました。私たちはベイスターズサイドの1塁側に指定席を取りました。私たちは試合開始の30分前に席に座り、ビールを注文して、野球談議に花を咲かせました。友人は私の左隣に座り、私の右隣は空いていました。打者が大きな打球を打てば、スタジアム全体がその都度盛り上がります。「ベイスターズ」に得点が入れば、周りの人たちと一緒に“万歳三唱”しています。私は心からこの日の試合を楽しんでいました。

 しばらくすると私の右隣の席にスーツを着たサラリーマン風の中年男性が座りました。何気なく時計を見ると、もう8時半を回っていました。試合は6時半に開始ですから、普通は遅くても7時過ぎにはスタジアムにやってきます。

“仕事がなかなか終わらなかったのかな”

私はそんなことを考えながら特に気にせずに試合に熱中していました。するとこの中年男性が隣に座る私に話しかけてきました。

「ビールを飲んで野球観戦、最高ですよね、いつからベイスターズファンですか?」

私と友人は「ベイスターズ」のユニフォームを着て、「ベイスターズ」のキャップをかぶっていました。一目で「ベイスターズ」ファンだとわかるでしょう。

「はい、大洋時代に、川崎から横浜に移転した1978年以来応援しています」

私は笑顔で答えました。するとその男性は、

「大洋時代、懐かしいですね、平松とか江尻とか良い選手がいましたよねえ」

そう言って私に目を向けました。

「江尻は私が応援したころにはもうピークを過ぎていましたから、あまり活躍する場面は見てないんですよ、ただ平松の“カミソリシュート”はすごかったです。全盛期の平松のシュートは誰も打てませんでしたからね」

私はそう言って隣を見ました。この男性も右手にビールを持って笑顔で観戦していました。

ファン同士が過去の選手の昔話をしながらお酒を飲んで盛り上がる。よく居酒屋でサラリーマンのオジサンがやっている光景です。いつも頭の中が、霊界や過去や未来で埋まっている私からすれば、何も考えずに何のしがらみもない人と笑顔で話せる時間はとても貴重でした。しかし、この中年男性と「ベイスターズ」の昔話で盛り上がりながら、私はふとおかしなことに気が付きました。(2)へ続く。

 


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