以前、このブログで私がたまたま入ったファミリーレストランの話を書きました。私が入店したときは、まだお昼前でほとんどの席は空いていました。案内にきた従業員は、
「どこでもお好きな席にお座りください」
そう声をかけてきたのです。私はその言葉を聞いて、ざっと店内を見回しました。そのとき店内の一角にある一つのボックス席だけが、何か日が陰ったように薄暗く見えたのです。その席をよく見ると、そこには強い霊ハク(強いネガティブな思い)が残っているだけでなく、不浄霊も何度かやってきているように感じました。きっとこの席に長時間座った記憶のある人や、この席に何度も訪れたお客さんの中で、その後良くない形で亡くなっている人がいると感じました。その霊にとってはこの店のこの席が何か特別な場所になっているのでしょう。もちろん私はその席から離れた場所に座りました。それでもその席のことが気になっていたので、時々チラチラと視線を送っていました。
やがて時計は12時を回り、店内はどんどん混んできました。しかし、どれだけお客さんがやってきても誰もその席には座らないのです。角や奥の席ではありませんが、窓側の席ですから、普通なら誰かが選んでも良い席なのです。そしてついに空いている席がそこ一つだけになったときに、やって来たお客さんがその席に座ったのです。私はこの様子を見て自分なりに納得しました。私は霊能力について問われたときに、
「この能力は人間には元々誰でも備わっている能力です」
と答えています。霊能者といわれている人は、普通の人よりは感度が鋭いだけで、能力自体は生まれつきすべての人が持っています。
狩猟時代のような太古の昔には、今のような科学的データが無くても、人間は食べ物となる動物の群れを追いかけて、狩りを行って命をつないできたのです。もし、その時に群れを追いかける方向が間違っていたら、食べ物を獲得することが出来ずに、その集落は滅んでいたはずです。その時に人間の霊的な能力は、進む方向を決める上で役に立っていたはずです。
それと同じように自分の進む方向に何か危険が待ち構えていれば、人間は理屈抜きにそれを感じる力も持っています。それは霊能者のようにハッキリとは感じられなくても、“何となく”嫌な感じを伝えて、その場を避けるように導いているのです。そうやって無意識のうちに危険を回避しているケースはたくさんあります。
分かりやすく逆の例をいくつか紹介しましょう。たとえば横浜の中華街は、中華料理のお店が通りの表や裏にずらりと並んでいます。休日ともなればどこのお店もお客さんであふれて、お店の外まで並んでいます。そんなときに1軒だけ、席に空きのあるお店がありました。そのときお腹を空かせていた私の知り合いは、〝これはツイいている“と思って喜んでそのお店へ入りました。そこで出された料理の中に、何か味の良くないものも出てきました。しかし、「本場の中華料理はこういう味なのだろう」と考えて、そのまま料理を食べて家へ帰りました、そして家に着いたころからひどい腹痛が始まり、深夜には熱も出てきたために、病院へ行くことになりました。そのお店の料理を食べて”食中毒”を起こしたのです。
先日、都心に一戸建て住宅を購入しようとしている方から、「その家を買っても問題はないかどうか観てほしい」と尋ねられました。その家は都心の最寄り駅まで徒歩10分圏内です。その範囲に新築の一戸建て住宅はなかなか出てきません。ただ、私に相談した理由は、8軒並んで開発した建売住宅の中で、その家だけが最後まで売れ残っていたからです。なかなか買い手が付かなかったために、販売価格は少し値下がりしました。ご主人はその分お得な買い物だと思って購入に乗り気でした。しかし、私が確認したところ、隣接してた建てられた8軒でも、その家だけ霊道が通っているのです。それも鬼門(北東方向)から裏鬼門(南西方向)へしっかりと入っています。これは霊的に見ると”完全に住んではいけない家”になるのです。他にも駐車場の空いていた最後のスペースに車を止めて傷つけられた方もいました。“残り物には福がある”という言葉があります。ただ私からすると、多くの人たちが選ばなかったものには、“必ず何かそれなりの理由がある”ということなのです。皆さんも、もしそれを選択する際には、くれぐれも慎重に検討していただいた方が良いと思います。