他にも工芸品を中心に「オーパーツ」は世界各地で報告されています。たとえば1930年代の初めに中米コスタリカの密林の中から、石の球体が200個以上も発見されています。石の直径は小さいものでは2センチ以下のものから大きいものでは直径2メートル以上のものまで様々です。そしてこの石の置かれている位置が、星座を現わしているとか、天体の動きにつながっているという憶測がなされました。しかし、今は石の持ち出しや売買が法律によって禁止されていますが、以前は勝手に持ち去られたり動かされることがありました。そのため今の石の位置関係から、その意味を探ることは難しくなっています。この石のオーパーツたる所以は、球体の精度にあります。現在の技術でも、石を真球に加工することは難しいのです。周囲に残っている遺跡から推定して、この石が削られたのは、西暦300年から800年ごろと推定されます。

 今は石の科学的な調査が行われました。石の円周や直径をさまざまな角度から測ったときの最大誤差が、わずか0・2%ものが見つかりました。さらに石の直径が、2・0066メートルのものが、この単位の末尾までまったく同じものが2つ出てきたのです。普通に考えれば、そこまで精度の高い真球の石は、当時の技術で作ることは不可能に思われます。そう言った意味で、「コスタリカの石球」は、周囲の遺跡群と共に世界遺産にも登録されているのです。

 

そして工芸品ではありませんが、「オーパーツ」として最も有名なのは、南米ペルーにある「ナスカの地上絵」ではないでしょうか。ここは「ナスカ川」と「インヘニオ川」に囲まれた平坦な砂漠です。ここに地表の砂利の色を分けることで、幾何学模様や動植物の絵が、千数百点も描かれているのです。ここが「オーパーツ」とされる理由はこの絵の巨大さです。図形が描かれているエリアは、縦横30キロもある広大な地表です。ここに長さ180mのイグアナや135mのコンドル、またペリカンのような鳥類を描いた絵は、285mもの長さがあります。ここまでの大きさがあると、地上から見ても何が描かれているのかは、判別ができません。実際、「ナスカの地上絵」は、1939年、考古学者のポール・コックス博士が、上空を飛行していた時に発見したのです。「ナスカの地上絵」は、動植物や昆虫などの絵が有名ですが、地上絵の規模からいうと、それらは極小型の絵でしかありません。規模の大きなものは、遠く地平線まで続くような正確な直線によって描かれた“幾何学模様”になります。中には、直線1本の長さが10キロを超えるものもあります。これら幾何学模様に描かれている正確な直線の長さをすべて合計すると、その総延長は1300キロ以上にも及ぶのです。東京と福岡は、886キロ離れていますから、それを考えるとこの地上絵がどれだけ巨大か想像できると思います。

 また、「ナスカの地上絵」のエリアには、すぐ北側に川を挟んで「パルパの地上絵」と呼ばれる巨大な地上絵も描かれています。ここでも「ナスカの地上絵」と同じように、動植物の地上絵や幾何学模様が残されています。ただ、場所が山岳地帯になるため、観光地化されていないので広く知られてはいません。そしてこれらの地上絵が描かれたのは、「ナスカの地上絵」が今から約2000年前、そして「パルパの地上絵」が今から約3000年前になります。人間が空を飛ぶことなど、不可能な時代に、空から見なければ分からない地上絵や幾何学模様は誰が何のために作ったのか、謎は深まります。

 現在、言われている所説を紹介すると、幾何学模様の直線の中には、夏至と冬至の日の太陽が日没する方向と一致しているものがあることから、「暦」として使い、農作業を行う時期を決めていたのではないかという説があります。他には、隣国のエクアドルでしか取れない貴重な「スポンディルス貝」の破片が、地上絵のエリアで見つかっていることから、「雨乞いの儀式」を行うために、地上絵が描かれたのではないかという説もあります。それは、「スポンディルス貝」は、当時の雨乞いの儀式で使われていたからです。

 私は自分なりに考えて、ここに描かれた幾何学模様は、「クフ王のピラミッド」が、地球の大きさや地球から太陽までの距離に関係していたように、何か天体の動きを補足する儀式のために作られていたように感じます。古代の人々は、天体や星座の動きから判断して、生活の中にさまざまな儀式を織り込んでいました。何かそのようなことに活用するための地上絵だったのではないかと思います。古代のロマンは尽きません。

 


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