「オーパーツ」とは、本来、その場所やその時代にあるはずがないものが、出土したり、見つかった時にそのものを指して言います。英語の“out  of  artifacts”直訳すると「場違いな工芸品」という意味です。考古学上、或いはその時代の技術水準に照らして、製造不可能なものが、その時代の地層や遺跡の中から発見されたときに遣う言葉です。ただ、「オーパーツ」はマスコミで大きく報道されたり、世間の注目を浴びるために、後から贋作や捏造が発覚することがしばしばあります。現代の科学で「オーパーツ」を検証したときに、明らかに今の時代に遣われている技術によって加工されたものだと発覚することも多いのです。

 私が初めて「オーパーツ」に興味を持ったのは、中米ベリーズの「ルバアントゥン遺跡」や「アステカ文明」の遺跡で発見された「水晶髑髏(すいしょうどくろ)」です。「ルバアントゥン遺跡」は「マヤ文明古典期(紀元後250年~900年)に栄えました。「アステカ文明」は、1428年ごろから1521年までの約95年間、メキシコ中部で栄えました。この2つの文明は、年代に大きな開きがありますが、どちらも今のように科学技術が発達する前の古い文明です。これらの遺跡の中から、水晶を“人の頭蓋骨そっくり”に加工した通称「水晶髑髏」が見つかったのです。この写真(画像)は、世界に広く出回りましたから、ご覧になられた方もいらっしゃると思います。この写真を見ると

「固い水晶を当時の技術で、どのようにしたらこれほどツルツルに削れるのか」

きっと誰でも疑問に思うでしょう。しかも髑髏の目・鼻・口の位置は、本物の頭蓋骨と完全に正確に一致しているのです。

 私もどうしてこの時代に「水晶髑髏」を作ることができたのかを考えました。

「人類に何かのメッセージを送るために、高度に発達した文明を持つ宇宙人が飛来したのではないか」或いは

「地球上には太古の昔に我々が知らない高度な技術を持つ文明が栄えていたのではないか」

結局、それぐらいしか頭には浮かんできませんでした。私の頭ではとてもこの謎は解明できませんでした。しかし、現代の技術で「水晶髑髏」を調査した結果、これらの髑髏は、比較的新しい近代から現代の技術によって加工されたものであることが判明しました。つまり、元々マヤ文明やアステカ文明の時代に作られたものではありませんでした。つまり、「オーパーツ」としては、“偽物”ということになります。

 

しかし、5月11日の「北海道新聞」が、

“北海道・奥尻島になぜ尺玉が!?「オーパーツ」の謎解明へ 考古学者に鑑定依頼”

という記事を配信しました。この記事は以下のような内容です。

「北海道奥尻町教委は本年度、青苗遺跡から出土した大きな勾玉(まがたま)の「謎」解明に乗り出す。この勾玉は、昔の有力者の副葬品とみられ、3~4世紀ごろに新潟県糸魚川産のヒスイで作られたことが分かっているが、古墳時代の勾玉がなぜ奥尻にあるのかが判然としない。そこで、考古学の専門家4人に再調査を鑑定を依頼し、1年がかかりで勾玉の由来について町の公式見解をまとめる考えだ」

とあります。この勾玉は1976年、道路拡幅工事に伴う発掘調査で見つかった墓から、刀剣やガラス玉などと共に出土したということです。これまでの調査では、7世紀半ばに大和朝廷の命を受けて北方へ遠征した「阿部比羅夫」という能登の豪族の墓ではないかという説が有力だということです。他にも8世紀ごろに現在の中国東北部やロシア沿海地方などを治めた「渤海(ぼっかい)」の日本使節団の水先案内人を勤めた奥尻の船乗りが、謝礼として京都で受け取り持ち帰ったという説もあるそうです。いずれにしろ夢のある話につながっていくことを期待したいです。(2)へ続く。

 


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