先日、友人を自殺で亡くした方から相談を受けました。自殺と言う死に方は、亡くなった本人が、死後とても苦しむことになります。六道で言う“地獄道”へ落ちるわけではありませんが、地獄に匹敵するような苦しみを長く味わうことになります。それは与えられた命を自ら放棄したことの報いです。自ら死を選ぶ人は、現実の苦しさから解放されると思って命を絶ったのでしょう。しかし、死んだ先には現実の苦しさの何百倍・何千倍という地獄に匹敵する苦しみが待ち構えています。そして自殺と言う死に方は、自分以外にも家族や友人を苦しめます。自分の家族であればもちろん、友人や恋人を自殺で亡くした人は、

「どうして自分が何とかできなかったのか」「そこまで苦しんでいたことをなぜ理解してあげられなかったのか」

そう考えて自分を責め続けることになります。

 

私に相談した方も最近まで交際していた女性が自殺をしました。その時点でその女性とはすでに別れていて、その後その女性は別の男性と交際して、また別れたあとの自殺でした。そういった意味では、相談者の男性が重い責任を感じる必要はないのです。それでも別れて1年も経たないうちに、相手の方が命を絶っていれば、

~自分がもっと彼女を受け止めてあげられたら~

~自分がもっと彼女を支えてあげられたら~

~自分がもっと彼女に優しくしてあげられたら~

彼の後悔と自責の念はとどまることなく頭の中で回り続けていたのです。そして彼は自分の思いを抑えられずに行動に移します。彼はスマホに残っていた彼女のアドレスにメールを送り始めたのです。

「何で死んだんだ、それほど悩んでいることがあるなら、オレに一言相談してくれればよかったじゃないか。もし、話してくれたら、解決できなかったかもしれないけど、全力で何とかするように頑張ったって。心を支えることがきっとできたと思う。そこまで苦しんでいたのに何の力にもなれなかった自分が本当に苦しい。ごめんね、助けられなくて。本当にすまない。今からでも、もしオレに何かできることがあれば、いつでも伝えてほしい。今度こそ助けるから、いつでもオレのところに来てほしい。オレは霊感、強くないけど、来てくれたら絶対に分かるから。できればオレにわかるサインを何か残してほしい」

このようにメールに書き記したのです。そして、幽霊になった彼女でも、また会いたいと心から念じていたのです。

 

彼が彼女宛てにメールを出しても、お墓参りに行っても、もちろん何も起こりませんでした。いつもと同じ当たり前の一日が、当たり前に通り過ぎていきました。彼はその間にも仕事から帰れば、

「ただいま、今帰宅。今日はオレの企画が部長から誉められたよ。上手くいけば、次のプロジェクトのリーダーになれるかもしれない。頑張るからね」とか、

「今日は会社の帰りに大学時代のサークルのメンバーと飲み会に参加。なつかしいし、みんな変わってないし、楽しく飲んだよ、疲れたからもう寝るね。おやすみ」と、

彼女と付き合っていた時と同じように、毎日メールを送り続けたのです。

 もちろん彼女からの返信はありません。しかし、メールを送信し始めてから、3週間が経った時、おかしなことが起こり始めたのです。(2)へ続く。

 


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