私は相談者に尋ねました。

「今もまだ夢に出てくる自殺した女性への供養は続けていますか?」

「いいえ、あまったお線香もすべて無くなりましたし、元々このお線香が無くなるまで頑張ろうと思って始めた供養ですから」

彼女はそのように答えたのです。私は静かに彼女に話しました。

「“耳なし芳一”の話を知っていますか?山口県下関市に壇ノ浦の戦いで滅亡した平家の霊を鎮める赤間神社(阿弥陀寺)があります。天才的な琵琶法師であった芳一は、阿弥陀寺の住職に気に入られてこの寺に住み込んでいました。ある夜、芳一の元にどこかの侍がやってきて、屋敷で琵琶を弾いてほしいと頼まれました。この侍に付いていった芳一は、琵琶を演奏して大いに喜ばれました。そしてこれから1週間、毎晩夜に演奏をするように頼まれたのです。しかし、日が経つにつれて芳一はどんどん瘦せてやつれていきました。その様子を不審に思った住職はある夜、芳一の後を付けていきます。すると芳一は侍を装った平家の幽霊に化かされて、寺の中にある平家の墓地の中で琵琶を弾いていたのです。次の日の夜、芳一の身を案じた住職ですが、その日はどうしても外出しなければなりません。そこで寺男に命じて、芳一の全身にお経を書かせました。そして芳一には、何があっても動かずに、口も利かずに寺の中で座禅をしているように命じて出かけました。その夜、芳一の元にやってきた平家の幽霊は、芳一の全身に書かれたお経のため、芳一の姿がまったく見えません。しかし、寺男は芳一の耳だけお経を書き忘れていたのです。そのため耳だけが目に入った幽霊は、ここに来た証として耳だけを引きちぎって持って帰ったのです」

相談者は黙って私の話を聞いています

「今の話にあるように、幽霊と交流しているとやがて生気を抜かれ取り殺されると言われています。私流の言い方で言えば、霊と同調することで、あなたのタイミングは狂い、無意識にしている選択は悪い方を選ぶようになり、悪い流れがとめどなく続き、そして体調も悪化していくのです。そもそも供養を祈ってから、夢を見たあとに痣が出なくなったとしても、それは元々その霊があなたに自分の苦しみを伝えるために残していたサインなのです。それが出なくなったとしても、あなたに何か良いことをしたわけではないのです。現世にとどまっている霊に、“良い霊”はいません。良い状態の魂は、現世にとどまらずに、あの世へ上がって来世へ生まれ替わる準備に入ります。ですから現世にとどまっている霊と会話をしたり意思疎通を図ることは、その霊とつながりやすい状態を作り、霊障を受けやすくしてしまうのです。特に自殺をした霊は、簡単に成仏することが出来ませんから、長く現世にとどまった苦しむことになります。その苦しみから救われたくて、霊的な波長の近かったあなたを頼ってきたのです。それに応えて意思疎通を図ることは、自ら霊の悪影響を導いているのと同じです。これを続けていけば、耳なし芳一が痩せ衰えて行ったように、あなたにもどんどん悪影響が出ていくことになります」

私の話を聞きながら相談者の表情がどんどん沈んで行きました。

「死んだ魂の供養を祈ることはいけないことなのでしょうか?」

相談者は怯えたように私に尋ねました。

「まず今回は、魂の状態が普通にあの世へ上がって行ける状態ではないものを供養したこと。そして単に“成仏してください”だけではなく、“私にできることならお手伝いします”と、積極的に依存させていること。そしてコミュニケーションをとっていること。さらにはスタートした供養を突然中止してしまったこと。これらが良くありません。“私にできることならお手伝いします”と言っていたあなたが、突然供養をしなくなってしまいました。これは霊からすれば裏切られたように受け取ります。その結果、このまま進むと、さらに強くあなたには霊障が降りかかるようになっていきます。もし、霊や神仏と約束をする場合、それは生涯続けていかなければならない重いものなのです」

亡くなった方の魂を供養することは決して悪いことではありません。それ自体は良いことです。しかし、あまり積極的に近づいたり、感情移入しすぎると、霊と自分がつながりやすくなり、その影響を強く受けることになります。霊と接触するときには一定の距離を保たなければ、自分に霊の痛みや苦しみが降りかかることになるのです。

 


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