そう言えば、子供のころにも思い出しても冷や汗が出る思い出があります。あれは確か小学校4~5年生のころだと思います。私の家の近くでは宅地開発が盛んに行われていて、低い山を削っては宅地をたくさん造成していたのです。私は山を削って平らに開いた宅地で、友達と野球をして遊んでいました。途中で誰かが打った打球が、造成地の端まで転がっていきました。私ともう一人の友達がゆっくり走りながら打球を探しに行きました。ボールは造成した宅地を通り越して、その先に敷かれた芝生の上に止まっていました。ただこの造成地はその先から急坂になって下っています。その斜面になったところに芝生が敷かれ、その上にはビニールが二重に打たれて芝生を保護していました。この急斜面は30mぐらいは続いていたと思います。私と友達は、斜面の上の方に止まっていたボールを拾うと、芝生に敷かれたビニールの上で遊びだしました。長い斜面に敷かれたビニールは、段ボールをソリにしてお尻に敷くととてもよく滑ります。私と友達は近くに落ちていた段ボールをお尻に敷いて30mもある下りの急斜面を滑って遊んでいたのです。最初のうちは、斜面の先端に当たる造成地のところから、10mぐらい段ボールをソリにして順番に滑っていました。しかし、私の順番が来て、斜面の頂上から段ボールのソリで下っているとき、私は一瞬バランスを崩してしまいました。私の体は斜面の上方へ両足を上げて、ポリエステルのジャンバーの背中がビニールと当たるソリになってしまったのです。つまり両足を上に挙げたまま、頭を下方へ向けて、背中の部分で後ろ向きに滑り出してしまったのです。そしてこの斜面の先には垣根や塀は何もありません。30m斜面を下った先は、高さ20mぐらいの崖になっています。その下は山を切り開いた新しいアスファルトの道が20m下に通っています。私はこのままの態勢で後ろ向きに滑っていくと、頭から後ろ向きに崖へ飛び出します。そして20m下にあるアスファルトの道路に頭から転落(激突)することになります。私の眼には斜面の頂上で、呆然と立ち尽くして私を見つめる友達の顔が今でも焼き付いています。青ざめた顔で恐怖におののく人の顔を見たのは、このときが人生で初めてだからです。ポロエステルとビニールの組み合わせもとても良く滑ります。スピードはぐんぐんと上がり、友達の顔が小さくなっていきます。急斜面を両足を上に上げて、後ろ向きに高速で滑り落ちた私は、何もできないまま「このまま崖下へ転落する」と覚悟を決めました。
ちょうどそのときです。急斜面の芝生の上に二重に貼られたビニールが風で一瞬フワッと膨れ上がったのです。芝生を保護しているビニールは、斜面のてっぺんから斜面の一番下まで貼った後、切らずにそのまま斜面を上がって最初に貼った斜面のてっぺんで切られていたのです。つまり急斜面の上から下を底にして袋状にして二重に貼っていたのです。その二重のビニールの上のビニールだけが一部やぶれていて、その穴に風が入って上のビニールだけが膨らんだのです。そして持ち上がった上のビニールの下に私の体はスッポリと滑り込みました。私は上のビニールと下のビニールの間を高速で後ろ向きに滑り落ちていきます。そして崖のところまで来たとき、私の体はあきらかに崖の先の空中に飛び出しました。私の体は完全に宙に浮きましたが、袋状のビニールの底の部分は、破けることなく私の体を支えたのでした。もし、破けてしまえば、20m下のアスファルトの道路に頭から叩きつけられることになります。まだ小学生で体重が軽かったことも幸いしました。私は恐怖に震えながら、2枚のビニールに挟まれたトンネルの中を四つん這いになって慎重に登りました。そして急斜面をてっぺんまで登ってこの危機を脱出したのです。もし、私の体が後ろ向きに急斜面を落ちていく時に、一瞬風が吹いてビニールが膨らまなければ、私は確実に死んでいたと思います。膨らんだビニールの穴にスッポリと入ったことも、空中に飛び出した後も薄いビニールの底が破けずに私の体を支えてくれたことも、すべてが奇跡が起こったと思っています。今にして思えば、私は急斜面を滑りながら、途中から生還できる道へ入ることができたのだと思います。(5)へ続く。