相談者は目を皿にしてみずきの自殺と裕也が逮捕された痕跡がどこかに残されていないか最近の新聞記事をチェックした。しかし、残念ながらどちらのニュースも地方紙の片隅にさえ載せられてはいなかった。
~みずきはきっと生きている。自分が当初思っていたようなパワハラと失恋で自殺をするような繊細な女性ではないのだ。そして裕也もまだ捕まっていない。小学生の娘に声をかけたとなれば、かなり悪質な犯罪だから、逮捕されれば必ず報道されるはずだ~
相談者は2つの記事が見つからなかったことにむしろホッとした。しかし、次の瞬間、目を疑うような記事が飛び込んできた。それは今から1週間前に東北自動車道で会社員の男性が居眠り運転によって事故死したことを伝えていた。記事は事故死した男性を「山上裕也」と載せていたのだ。相談者はすぐに山上の会社に電話を入れた。そして新聞で山上の事故死を知ったことを伝えて、山上の安否を確認した。今度は電話に出た女性は、こちらの問いかけに素直に山上の事故死を認めたのだ。みずきの恋人の裕也はパワハラを繰り返していた課長の山上だっだ。山上と裕也は同一人物だったのだ。
「………」
相談者はこの状況がにわかには呑み込めなかった。相談者は山上の妻に嫌がらせの電話をしたことの謝罪と、ことの真実が知りたくて、山上の父親に手紙を書いた。そして、自分がたまたま買った中古パソコンからみずきに操られるようになったこと。そして自分以外にも同じようにみずきに踊らされた人間がいて、息子さんやそのご家族を苦しめたことを心から詫びた。しばらくして山上の父親から返事が届いた。手紙の文字はひどく震えていた。きっと怒りと悔しさと悲しみでお父さんの心は張り裂けていたのだろう。父親の手紙には驚くべき真実が綴られていた。
まず、山上という男は決してハラスメントを行うような人間ではなかったのだ。それは山上の葬儀の時に会社の部下や同僚たちが口々に山上の死を悼み、みずきを憎んでいると話してきたことから父親は確信した。山上は社内の親しい友人に何度も相談していた。それはストーカーのようなみずきから、離婚して自分と付き合うように迫られていたという。山上は社内で行った歓送迎会の後、一晩だけみずきと過ちを犯した。一次会の居酒屋を出た後、二次会のバーで飲んで、それから酔っぱらった山上は、みずきに誘われてホテルに泊まってしまったのだ。そしてみずきは、酔って眠っている山上の服を脱がせて、ホテルのベッドの中でみずきと抱き合っている画像をこの時撮影していた。みずきから何度アプローチをかけられても、それを断り続けてきた山上に業を煮やしたみずきが最後に証拠写真を捏造したのだ。みずきは山上の方から自分を抱いてきたと言って、その責任を取ってほしいと山上を恫喝した。山上はみずきに謝罪して妻と離婚する気のないことをはっきりと告げた。しかし、みずきは自分と付き合わないのなら、この画像を会社のコンプライアンスと奥さんに見せると言って山上を脅してきた。山上は仕方なく、その後何度かみずきに付き合ったが、男女の関係になることはなかった。やがて山上はどんどんみずきを避けるようになり、職場でも突き放すような態度しか取らなくなった。そして山上の家や実家に嫌がらせが届くようになったころ、みずきは突然会社を辞めた。そして「自分はもう生きていけない」と書かれた手紙と共に、会社のコンプライアンスと妻の元に山上とみずきがホテルのベッドで寝ている写真を送りつけたのだ。
山上は会社のコンプライアンスに呼び出されて、刑事のような担当者から毎日尋問を受けた。そしてすぐに仙台にある子会社の課長職に左遷された。この期に及んでも山上に対する嫌がらせは、会社にも自宅でも続いていた。妻は夫とみずきの写真を見た後、実家に帰り離婚届を送りつけてきた。二人の子供も妻の実家に引き取られた。こうして山上は子会社に単身赴任することになったが、本社のエリート課長が子会社に左遷された理由は赴任先の子会社でもすぐに広がった。家にも会社にも居場所を失った山上はこのころから夜眠れなくなり体調も崩していた。本社に呼び出された後、自宅に残された荷物を車に積み込んで、自分で運転して仙台へ戻る途中の事故だった。警察は山上の事故を「居眠り運転」と結論付けた。
みずきは自分に共感を持った男たちが、山上と家族に嫌がらせを続け、家庭を崩壊させること。そして自分のコンプライアンスへの申告によって山上は会社での立場も失い、精神的にボロボロに追い込むこと。さらにそれがいずれアクシデントを引き起こすことまで計算していたのだろう。相談者は山上の事故にも何かみずきが関わっているように思えてならなかった。みずきが仕組んだ「パンドラの壺」は、自分の思いを拒否した「山上裕也」を殺すための起爆装置だったのだ。