相談者の目の前にはみずきが提供した山上や家族の連絡先が残されている。しかし、警察に被害届を出されたと聞かされては、さすがにもう電話をかける気持ちにはなれなかった。相談者は警察の影におびえながら、山上の妻の言葉を反芻していた。妻の言葉が本当なら、誰か自分以外の人間が、自分よりももっと執拗に山上や家族に嫌がらせをしていることになる。しかし、パンドラの壺は自分しか開けていないはずだ。もしかしたらみずきは、自分が自殺をする前に、誰か親しい友人に山上に復讐することを直接依頼したのではないか。そういえば、みずきには裕也という彼氏がいた。死の直前には二人の関係は悪くなっていたようだが、みずきが裕也に山上への復讐を依頼したとすれば、元々みずきを愛していた裕也が山上に嫌がらせをした可能性はある。相談者はもし、自分が警察に捕まるようなことがあれば、“犯人は裕也という彼氏だ”と伝えようと思った。そして少しだけ安堵した。
しかし、真相は思わぬところから明らかになった。それからしばらくして、相談者はパソコンの付属品を買うために、よく行っている中古パソコンショップへ出かけた。みずきの保存文書が残された中古パソコンを買った店である。そこで棚に並べられた売り物の中古パソコンの中に、自分が買ったノートパソコンと同じ仕様で同じ年式のものが売られていたのだ。相談者は驚いて、パソコンの蓋を開けて眺めてみた。そしてまさかとは思いながら、その中古ノートパソコンを買って家に持ち帰ったのだ。
家に着くと相談者はすぐにパソコンを立ち上げて中をチェックした。すると、自分のパソコンと同じようにパソコンのハードディスクの中に文書が残されていた。そしてそのファイルを開いていくと、よく見慣れていた真っ黒の画面が浮かび上がったのだ。そして画面の中心には真っ白い筆文字で「パンドラの壺」と書かれた文字が点滅していた。
~自分が買った中古パソコンは、売り主のみずきが消し忘れた文書がたまたま残されていたのではない。みずきは消去し忘れたように見せかけて、「パンドラの壺」を保存したノートパソコンを何台も用意したのだ。それをパソコン買取店にバラまいて、網にかかる獲物を待ち構えていた。みずきはパソコンに残した保存文書の中で、上司のパワハラによって苦しめられているかわいそうなOLを作り上げた。そのOLには大好きな彼氏がいて、男女の行為まで日記風の文書に記して、男の興味を誘っていたのだ。そして自分に感情移入してきた男性をターゲットにして、自ら手を下さずに、山上に嫌がらせをするように仕向けていた。みずきは中古パソコンを購入した男性が、保存したファイルを開くことも、パンドラの壺を開けることもすべて計算していた。その上で自分に同情して山上や家族へすぐに攻撃出来るように連絡先を公開した。みずきの張った網にかかり、一人で勝手に腹を立ててみずきの筋書き通りに動いたのが相談者だった。相談者は翌日、この中古パソコンを買ったパソコンショップを訪ねた。そこで、みずきと思われる女性が、この店だけで、さまざまなタイプのパソコンを10台ぐらい売りに来たことを知らされたのだ。仮にもし、みずきが「パンドラの壺」を残したパソコンを10台売っていたのなら、少なくても3~4人の男性が自分の意図したように山上や家族を攻撃するだろうとみずきは踏んでいたのだろう。
ただ、この事実を知った相談者は、ここでまた一つの疑問がわいてきた。 みずきがここまで用意周到に計算して、しかもパソコンを何台も購入した上、山上や家族の情報を調べたとすれば、その結末を見ることなく自殺するだろうか。仮にノートパソコン10台と山上や家族の個人情報をあそこまで調べるとすれば、安く見積もっても200万円近い経費を遣っているだろう。そこまでのお金を出した人間ならその結果、山上や家族がどのような末路を辿ったのか確認したくなるはずだ。相談者にはみずきが、それを行わずにパワハラと失恋に傷心して死ぬような女性には到底思えなくなっていた。
相談者はすぐに「記事検索」のサイトにアクセスした。相談者は仕事で「記事検索」サイトをたびたび使っていた。たとえば日本最大級の記事検索サイト「ELNET」では、1988年以降の新聞約100紙、雑誌250誌からの横断検索が可能だ。他にも「読売新聞」や「朝日新聞」「国立国会図書館」のデータベースでも過去の新聞記事の検索や新聞の縮刷版を閲覧することができる。しかもこのデータベースには全国紙だけでなく地方紙やネットニュースも含まれている。もし、みずきが自殺したとすれば、みずきの名前で検索すれば、どこかにその痕跡は残されているだろう。そして同じように裕也が脅迫で逮捕されたとすれば、そのニュースもどこかに掲載されているはずだ。相談者は、ここ3か月の全国紙・地方紙・ネットニュースをすべて検索してみずきの自殺と裕也のニュースが掲載されていないか調べたのだ。(10)へ続く。