相談者は中古で購入したパソコンに残っていた「パンドラの壺」というファイルを開いた翌日、夜帰宅するとファイルを開いたことをひどく後悔していました。それはこの日、悪いことばかりが自分に降りかかってきたからです。まず、朝のラッシュ時に人身事故があって、電車が1時間以上も止まってしまいました。駅のホームは人であふれ、駅では入場制限が実施されました。相談者はいつもなら家を出てから15分後には電車乗っているのに、この日はぎゅうぎゅうの人混みの中で1時間半も待たされてようやく満員の電車に乗ることができました。電車は動き出してからも前の電車がつかえているため、たびたび停車してしまいました。結局会社に着いたのはいつもより2時間も遅れてしまいました。そのことで11時から始まる企画会議にはギリギリで間に合ったものの、資料やデータを提示することができずに、説得力のない提案をすることしかできませんでした。そして部長から強く叱責されて同僚の前で恥をさらしてしまったのです。そのあとも気持ちが散漫で仕事に集中することができず、ミスをしてお得意様から怒鳴られました。会社の帰りに彼女と会ってデートをしたものの、愚痴ばかりが口をついていたため、ずっとそれを聞かされていた彼女は「つまらない」と言って怒って帰ってしまいました。そんな状況で一人で帰宅した相談者は、寂しいとか情けないとか、苛立ちの感情ではなく、何か放心したようにうつろな気分でいたのです。目の前のデスクに置かれたノートパソコンの蓋はしっかりと閉じられていました。しかし、頭の中には真っ黒な画面の中に白と赤で書かれた「死」の文字がくっきりと浮かび上がり、それが何度も点滅していたのです。
「パンドラの壺」あのファイルの中には一体何が入っているのか。
“入り口の画面を見ただけで、自分にこれだけの悪影響が出たとすれば、このファイルには何かの力があるのかもしれない”
相談者の恐怖心はいつしか、好奇心に変わっていたのです。相談者は恐る恐るパソコンを立ち上げて、ファイルを開きました。そして入り口の画面に恐怖と嫌悪感を感じながらもその先へ進んで行ったのです。そこには大量の文書が入っていました。そして文書には「みずき」という女性の仕事上の恨みつらみや好きな男性に対する思いが延々と綴られていました。他にも会社へ提出したと思われる仕事上の資料やデータも何件か残されていました。それらは内容別に収納されていて、新しいページを開くと真っ黒の背景に「呪」「厄」「惨」「禍」「怨」という漢字一文字がおどろおどろしい白と赤の筆文字で浮かび上がってきました。相談者は何かにとり憑かれたようにこれらの文章を読み始めました。会社には“心ここにあらず”で毎日出勤していましたが、仕事が終わるとすぐに帰宅して、明け方まで大量の文書を読み進めていきました。そして文書を読んでいるうちに「みずき」についていくつか分かったことがありました。それは文書の中には会社に提出した仕事上の書類も含まれていたからです。そこには会社名の他にみずきの所属部署、氏名も書かれていました。それによると、「みずき」は、ある大手IT企業で営業サポートの仕事をしていること。具体的には営業担当者がコンペティションやプレゼンテーション、また企画会議などで必要とする資料の作成作業をしています。大量のデータを集計したり、そのデータをパワーポイントなどのビジネスソフトを駆使して分かりやすくまとめて提供しています。時には自らマーケティングに参加して、顧客のニーズを絞り込むこともあります。仕事では難解なソフトを日常的に使いこなしてますから、「パンドラの壺」で不気味な動画を作成することは、造作もなかったはずです。そしてこの文書の中には、他に二人の男性の名前がしばしば登場しています。一人は自分の所属部署の上司の課長「山上」です。もう一人は「裕也」という名前です。相談者は最初は、若いOLの日記でも盗み読むような好奇心で、「パンドラの壺」に書かれた文書を読み進みました。しかし、このファイルは「みずき」の明確な目的があって意図的に残された文書だったのです。(5)へ続く。