相談者が参加した“霊能者を育成するセミナー”ですが、他にも疑問に思う点があります。それは霊的な感覚を開発するために“座学とトレーニング”を行っていることです。それはまるで霊能者を養成するための学校のように見えます。私の感覚では霊能者は学校で勉強して身に付くスキルではありません。この世界は完全に“超感覚的な世界”ですから、どれだけロジックを学び、知識を吸収したとしても、霊的感覚を身に付けることには結びつかないのです。そしてもし霊能者になるためのトレーニングがあるとしても、それは断食をするとか座禅を組むとか滝に打たれることではありません。私は物心ついたころから、他の人とは違う感性を持ったために、この世界を探求してきました。当時は“霊の世界”と言えば、“お化けに足は付いているのか”と言われるような認識しか世の中にはありませんでした。スピリチュアルの話をすれば、四谷怪談と同じレベルで議論されてしまうのです。大きな書店へ行って、何か参考になる本を探そうとしても、真面目にこの世界のことを教えてくれる書籍は一冊もありませんでした。そんな中で“神秘家”と言われる人たちが書いた本が、洋書店とか専門書を扱う書店に何冊か置かれていました。具体的には「ゲオルギイ・グルジェフ」とか「プョートル・ウスペンスキー」とか「ジッドゥ・クリシュナムルティ」や「ルドルフ・シュタイナー」などです。この人たちの本は非常に難解で、きちんと内容を理解しようとすると、1ページを読み進めるのに、1日かけても良くわからないこともしばしばありました。若いころは若いなりに必死に読んで自分なりに内容を理解しました。しかし、それから数年経って読み返してみると、以前とは全く異なる言葉が頭に入ってきたのです。そして最近、久しぶりに読み返してみると、また以前とは違う内容が伝わってきました。本に書かれている内容は、書き手の思いとは別に、それを読む人の状態によってディフォルメされます。特にこの分野の本を読んで、どこまで著者の言葉を正確に理解できるのかは、受け手の持つ知識や経験によって変わってくるのです。

 

これらの本の中で印象に残っているフレーズがあります。シュタイナーの「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」という有名な本があります。その中でシュタイナーは、超感覚的世界の認識を獲得しようとする人に次のように話しているのです。

「まず、あなたの生業をしっかりとやりなさい」と。

私はこの言葉の意味を自分なりに解釈しました。それは、「超感覚的世界の認識(=霊的感性)を獲得するためには、何か特別な修行をするのではなく、まずは自分がしなければならない仕事をしっかりと行うことが大切である」と。言い換えると「霊的な感性を磨いたり、閉じている蓋を開いていこうとするのなら、毎日の生活の中にこそ、修業の材料はあふれている」ということではないのか。そのように理解したのです。実際、自分の感性を高めて、日々の生活の中に自分を鍛える材料を見出そうとすれば、ただ漫然と流されているときには見えなかった世界がはっきりと広がってくるのです。これに真剣に取り組むなら、断食をしたり滝に打たれるよりも、はるかに厳しく自分を磨くことになるのです。ですから相談者が“霊能者養成セミナー”で体験したトレーニングは、私からするとピントが外れているように感じてしまうのです。

 

したがって「霊能者になりたい」とか「私の弟子になりたい」という方にはいつも同じように答えています。

「もし、あなたがこの世界で生きていくべき人間であるなら、私から何かを学ばなくても、おのずとこの世界に入るきっかけが訪れると思います。そのきっかけを真摯に受け止めて、そのときあなたにできる範囲の努力を誠実に行っていけば、気が付けば霊能者になっているのではないでしょうか。私が生きている世界とは、そういう世界なのです」

 


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