皆さんはテレビの時代劇で、罪人が島送りになって、刑期を終えて江戸にもどってきたときに、前腕に丸い輪の入れ墨が入っているのを見たことがあるでしょうか。この時代は罪を犯した人間が一目でわかるように、体のあちこちに入れ墨を入れて罪人であることを周囲に知らしめていたのです。時代劇では前腕に丸い輪の入れ墨を1本か2本入れていることがほとんどです。しかし実際には前腕部だけでなく手の甲や指にも入れ墨を入れられました。藩によっては罪人と一目で見分けがつくように、顔や額に入れ墨を入れることもありました。どこにどのような入れ墨を入れるのかは、罪の重さや前科の数によって異なりました。ある藩では、初犯のときには額に「一」という文字を彫られました。そして2回目の罪を犯すとそこに斜めに「ノ」の字が付け加えられました。そして3回目の罪を犯すと「ノ」の字の反対に斜め線が引かれ、「一」の上に点が打たれました。そして額に大きく「犬」と書かれた入れ墨が出来上がるのです。これは江戸時代に行われた「入れ墨刑」と呼ばれる刑罰です。相談者は額の中心に丸とバツの痣が浮かび上がっていますので、まさに刑罰を受けているのに等しい辱めを受けてしまったのです。

 

私は相談を受けて相談者の画像を確認しました。これは広い意味では霊現象ですが、その内容は誰かの恨みを買ったとか霊的波長が合ったことによるものではありません。禁忌を侵して神仏の罰を受けたことに起因しています。私にできることなら何とか力になりたいとは思います。しかし人間の力では神罰を祓うことなど到底不可能です。ただ、この方が何気なく御神木を傷つけて丸バツの印を刻み込んでしまったことには、何かご先祖からくる因縁因果はあると感じました。まず、この方は、缶蹴りで逃げた仲間が出てくるのを待っているときに、何気なく(何も考えずに)御神木を傷つけています。霊的なものの影響は何気なく=ボーっとしているような状態の時に強く表れるのです。しかも、後で調べて分かったのは、この神社は島津家ゆかりの神社だったのです。子供が何も考えずに御神木に丸とバツを刻みましたが、それが神社ゆかりの島津家の家紋と一致しているということは偶然ではなかったように思いました。この方はもちろん島津家の子孫ではありませんし、鹿児島の出身でもありません。ただ、この方のご先祖は江戸時代までは武士の家系だったのです。武士の世界では主家のために命を捨てなければならないことがあり、戦になれば敵の命を奪わなければなりません。何かの不始末があれば責任を取って切腹に追い込まれます。そういった意味で深い因縁を後世へ残してしまうことがしばしばあります。

 

島津氏は鎌倉時代から江戸時代まで薩摩を領して、明治維新後には公爵家となった名家です。ただ、古い家ですので多数の分家筋があります。この方のご先祖が鹿児島とは離れた場所で暮らしていたとしても、島津家と何かの関わりがあった可能性はあるのです。そう考えると何気なく御神木を傷つけて神罰を受けることになった背景に、ご先祖の因縁因果が存在したとしても不思議ではありません。いずれにしても皆さんも注連縄が張っているような場所に近づくときには十分に気を引き締めて頂いた方が良いです。その場を穢すことのないように注意して行動してください。そして、根拠が明確でないことであっても、長年にわたって多くの人たちから「やってはいけない」と言われていることには素直にしたがっていた方が良いと思います。そこには私たちでは想像もつかない深い理由が隠されていることがあるからです。

 


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