皆さんは神社の中などで注連縄(しめなわ)を見たことがあるでしょうか。注連縄は神道における神祭具で、漢字の「糸」の字の象形を成す紙垂(しで:ギザギザの形をした紙)を付けた縄のことです。注連縄は神聖な区域と俗界とを区別するための標(しめ)のことです。たとえば神社の社(やしろ)の中を俗世から守る結界の役割をしています。また、社以外にも、巨石・巨樹・滝などにも注連縄は張られます。分かりやすく言えば、注連縄で仕切られた区域の中は神聖な場所なのです。先日、私に相談してきた方は、子供のころにこの神聖な場所を侵してしまいました。そしてひどい形でその報いを何十年間も受け続けているのです。

 

この方が子供の頃を過ごした家の近くには大きな神社がありました。神社の社には注連縄が張られ、境内の中にある巨木にも注連縄が巻かれていました。この巨木は樹齢1000年と言われているケヤキです。この神社では御神木としてお祀りして、大切に保護していたのです。そしてこの木は信仰の対象にもなっていました。子供のころにこの人は近所の同級生とこの神社でよく遊びました。あるとき、お社の近くに鉄製の大きな釘が落ちているのを見つけました。何気なくその釘を拾ってポケットに入れていました。そして御神木の周りで“缶蹴り”をしていたとき、鬼になったこの方はなかなか逃げた相手を見つけることができずに、ただ、何をするでもなくご神木に寄りかかって誰かが出てくるのを待っていたのです。手持無沙汰になったこの方は、まるで落書きでするように、ポケットの中の釘を取り出すと、思いついたマークを御神木に彫ってしまったのです。それは丸の外郭の中に十字のバツ印を付けたものでした。一見すると薩摩島津家の家紋に似ています。(島津家の家紋は江戸時代以前は外郭の丸がなく、ただのバツ印だけでした)。ただやることもないので悪気もなく傷つけてしまったのです。

 

それからしばらくは何事もなく時間は過ぎました。しかし、高校生になったとき、この方は平坦な舗装された道路を歩いているときに、何かに背中を押されたように足がもつれて、地面に顔面を強打してしまったのです。その時に額を傷つけて出血しましたが、特に骨折などの重症ではありませんから、傷はすぐに治ると思い、まったく心配すらしていなかったのです。しかし、傷口は治るどころか化膿して、ひどく膨らんでしまいました。心配になって病院で治療を受けて、抗生物質を飲んで傷口はすぐにふさがりました。しかし、その時、額に残った一筋の傷跡は、時間が経過するごとに左右に広がって1年もすると額の中心に丸とバツ印の島津家の家紋が浮かび上がってきたのです。しかもそれは赤黒い痣のようになって、まるで入れ墨でも入れたように遠目でも分かるくらいに目立ってしまったのです。思春期の少年にとってこれはとても衝撃的な出来事です。この方も外に出るときにはキャップを目深にかぶって顔を隠すようになりました。それでも外を歩けば、嫌でも他人の視線が飛び込んできます。それが嫌で自然と高校へは通わなくなりました。そのため通信制の高校へ入り、高卒の資格は取りました。しかし、この額の痣やそれを見る他人の視線が気になって、大学へ行くことは断念しました。就職先を探さなければなりませんが、人目が気になって外に出ることができないのです。ときどき勇気を振り絞って外に出ても、駅まで行っても電車に乗ることができなくてそのまま家に引き返しました。今は通信教育でコンピュータのプログラミングを学んで、在宅で仕事をしています。このような状態ですから、気が引けて恋愛も結婚もできずに、気が付けば50歳が目の前に迫る年齢になりました。この痣を少しでも目立たなくするように、これまでに何度も手術を受けてきました。しかし、痣の色は少しは薄くなったものの今でも額の中心に丸バツの痣が色濃く記されてしまっているのです。(3)へ続く。

 


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