以前、このブログで東海道を歩いて移動している霊について述べたことがあります。かなり前の出来事ですが、私が東海道(国道1号線)の小田原付近を車で通りかかったときに、歩道を歩いて東京方面へ進んでいる霊の横を通りました。その霊は足を引きずるようにゆっくりと歩いていました。時折、立ち止まって何かを探すようにキョロキョロと周囲を見回していました。この霊は昔の囚人が着せられるような粗末な灰色の着物を着ていました。道路は渋滞して車はノロノロ運転です。私はこの霊の様子をじっくりと確認することもできましたが、私が霊が見えることを気づかれると後が面倒です。救いを求めて寄ってこられたり、ずっと後を付いてこられたり、何かの依頼をされることがあるからです。

 

その翌日の夜、たまたま仕事で茅ケ崎まで出かけた帰りに、国道1号線を車で走行中にまた同じ霊の横を通りました。小田原から茅ヶ崎までは27キロ離れています。一般的に人の歩く速度は時速4キロと言われています。足の悪いこの霊が時速3キロで国道沿いに歩いているとすれば、9時間歩き続ければ翌日には茅ヶ崎まで到着します。私は二日続けてこの霊を見たことで、この霊がどうして現世にとどまっているのか気になりました。私がこの霊を霊視すると小田原の一つ京都寄りにある「箱根」の宿場から東海道に入っていました。そして私がこの霊の目線で周囲を見ると、木の枝でできた格子の内側から街道の景色を眺めています。これらの状況から類推すると、この霊は箱根の関所で罪人として囚われて、唐丸籠(とうまるかご:竹で作られた円筒形の籠で、昔その中に罪人を入れて護送していた)で、江戸へ向けて運ばれていたのではないかと考えました。そして、もし罪人が処刑されるなら、このまま東海道を進むと、東京に入ってすぐの品川宿の先に「鈴ヶ森刑場」があります。箱根の関所から鈴ヶ森までは約110キロあります。1日に約30キロ歩いたとすれば、4日あれば着くことになります。東海道は今は、横浜駅の辺りで国道1号線から別れて国道15号線(第1京浜)になっています。この国道の脇に鈴ヶ森刑場はあります。

 

昔は罪人をとらえれば罪を犯したことの見せしめとして簡単に処刑されていました。しかも今のように証拠や証人を必要とせず、拷問によって容疑者が自白をしてしまえば、それをもって打ち首・獄門(首を胴体から切り離す斬首刑の後、死体を試し斬りして、さらに刎ねた首は獄門台に3日間晒しものにする公開処刑)にされていたのです。そのため無実の罪をきせられて処刑されてしまった罪人も数多くいたはずです。もし、この霊が箱根関所から唐丸籠に載せられて鈴ヶ森刑場で処刑されていたとすれば、道中で別れを惜しみに来る家族を探していたのかもしれません。また、途中で水を飲ませてくれた人に感謝をしていたのかもしれません。死を前にしてそんな思い出を抱えていたとすれば、死んでもなお、街道を歩きながら家族や知り合いを探し続けていたとしても不思議ではないのです。そして私は、このあと2日間にわたり、この霊を慰めようと思い、国道15号線に先回りして、歩いてくる霊を待ちました。そして案の定やってきたこの霊に向けて、供養のためのマントラを唱えました。

 

霊は移動しようと思えば、瞬間的に移動することができます。以前、福岡に住んでいる強い霊障を受けている方と電話で話しました。その時に私が霊に対する対抗策を電話で伝えていると、その人に憑いていた霊が私を攻撃してきました。その霊は電話を通して私に攻撃してきたのではありません。私が気配を感じて後ろを振り向くと、その霊は私の真後ろにいて、私の首を絞めてきたのです。福岡と東京は886キロ離れています。一般的なジェット旅客機は時速800キロ~900キロで飛行しています。つまりジェット機で飛んでも1時間飛行する距離を、霊は私が電話で会話している一瞬で私の後ろまでやってきたのです。つまり箱根から110キロ離れた鈴ヶ森まで、単に移動することが目的ならば、霊はすぐに鈴ヶ森刑場までやってくることはできます。それをわざわざ昔の街道沿いに、歩いて向かっているということは、そこに何か理由があると考えなければなりません。私にはきっと歩きながら誰かを探していたように見えました。そこに極悪人の罪人とは違う哀しみを感じたため、私は供養しようと思い立ったのです。

 


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