先日、ご実家に置いてある人形や美術品、ぬいぐるみ等に悪いものが入っていないか観てもらいたいと依頼を受けました。このブログでも何度か紹介しましたが、人の思い(=念)や霊体(=死霊)は、人に影響を及ぼすだけでなく、物に憑くこともあります。よく髪の毛が伸びる日本人形や、瞳から涙を流した人形や絵画が紹介されています。こういった現象の中には死霊や生霊の影響で引き起こされているものもあります。特に手作りのアイテムは、それを作った人の思いがこもりやすいのです。手編みのマフラーやセーターが暖かいのは、毛糸のせいだけではありません。ひと編みごとに愛情を込めて編み込んだ製作者の思いが込められているので、それを着る人の体や心を暖かくしてくれるのでしょう。暖かい思いを込めて作られたものであれば何ら問題はありません。むしろそれを持つ人の心を癒してくれるでしょう。しかし、もし製作者がそのアイテムを作っているときに強い悲しみや憎しみを思い抱いていたらどうなるでしょうか。そのネガティブな思いは、それを目にしたり、手に取った人に影響します。良い思いも悪い思いも確実に持ち主に伝わっていくことになります。

 

「木彫りの熊」は、北海道のお土産として有名です。これはともすれば“アイヌ民族の伝統工芸品”のようなイメージがあります。しかし、伝統的なアイヌ文化においては、リアルに彫られた物は、“魂を持って悪さをする”という考えがあります。ですから伝統的なアイヌ文化では、人の姿や動植物をリアルな木彫りにしたり、絵画として描いたり、織物に織り込むことはしません。特にヒグマは、アイヌではカムイ(アイヌ語で神格を有する高位の霊的存在)とされていましたから、木に彫りこむことなど、あり得ないことでした。現在の北海道土産としての木彫りの熊は、比較的最近になって広がったものです。そのきっかけになったのは、1921年(大正10年)~1922年(大正11年)にかけてヨーロッパ旅行へ出かけた尾張徳川家の当主「徳川義親」が、スイスのベルンに立ち寄った際に、熊の木彫りを土産として購入したことが契機になりました。翌年、帰国した義親は、北海道二海郡八雲町にある旧尾張藩士たちが入植した「徳川農場」に、買ってきた熊の木彫りを送りました。そして農場で働く農民や付近のアイヌ住民に、冬期の収入源として熊の木彫りを生産するように勧めました。1924年(大正13年)に開催された第1回八雲農村美術工芸品評会には、北海道で最初に作られた熊の木彫りが出品されました。それが1927年の展覧会では、入賞して秩父殿下に献上されて、“八雲の木彫り熊”として世間へ知られるようになったのです。ですから今は北海道土産としてポピュラーな木彫りの熊は、年号が昭和に代わってから盛んに生産されるようになったのです。ただ、昭和初期には年間5千体が生産されていましたが、やがて八雲町での木彫りの熊は次第に衰退して、2012年時点で生産者は、わずか一人になってしまいました。

 

この熊の姿は、数多くの人が目にしたことがあると思います。全身に手彫りの跡を残したこの熊を見るたびに、時間をかけて彫り進めた生産者の強い思いを感じます。ほとんどの作品には、良い作品を作ろうとする職人としてのプライドを感じます。ただ、私が今まで目にしてきた何十体の中には、妬み・悲しみ・憎しみ・あきらめなどの強いネガティブを感じるものもありました。機械が製作した工業製品とは違い、人が手作りで作り上げたものには、作り手の思いも刻み込まれています。そういった品物を安易に家に持ち帰ことは危険です。かわいいと思って家に持ち帰った人形が、家族全員の生活を狂わしてしまうこともあるのです。

 


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