今、ブログに何を書こうかと考えながら、ふと思ったことがあります。考えてみたら大晦日のこの時間に家の中でパソコンに向かうのは随分久しぶりになります。大晦日や元日は、1年の締めくくりであり、1年のスタートでもあります。そのため例年私に出張鑑定を依頼しているご家族が何組かいらっしゃいます。ただ、一昨年の大晦日は、行方不明になってしまったお年寄りの捜索で朝から茨城県へ出かけていました。ご家族と一緒に暮らしていたお爺ちゃんは、認知症になってしまったために、何度か家を出て行方不明になっていました。そのたびにご家族やご近所の皆さんが付近を捜索して、大事になる前に発見していたのです。ご近所の方は、それ以来、お爺ちゃんが一人で外を歩く姿を見かけると、すぐに近づいて声をかけていました。そして手をつないで、家まで送っていたのです。ご家族も一生懸命お爺ちゃんの介護をしていましたが、24時間目、一瞬も目を離さずに見守ることはできません。そしてほんの一瞬、目を離したすきに、お爺ちゃんは行方不明になってしまったのです。私には遠方に住んでいるお爺ちゃんのお孫さんから捜索を依頼するメールをいただきました。その時点でお爺ちゃんは行方不明になって2日が経過していました。今すぐに捜索を始めればお爺ちゃんを無事に見つけ出せるかもしれません。私はすでに予約を入れていた皆さんに、予定変更のお詫びのメールを送って、何とか大晦日に時間を作りました。そしてまだ夜が明けきれる前に車を飛ばして、茨城のお爺ちゃんのお住まいへ向かったのです。
私はご家族から行方不明になったときの様子をうかがうと、お爺ちゃんが家でいつも着ていた“ちゃんちゃんこ”手に取って、ちゃんちゃんこに残るお爺ちゃんの霊的な波長を頭に刻み込みました。この2日間の捜索で、「家から北東方向にある駅でお爺ちゃんを見かけた」という目撃情報が入っていました。私はその情報は頭に入れましたが、できるだけ先入観は持たずに自分の感性だけを信じて、家の外へ出ました。外に出て通りを歩き始めると、私はすぐに考えました。それは私の頭の中の羅針盤は、家から北東方向の駅ではなくて、明らかに西側にある利根川を指していたからです。一瞬迷いましたが、私は駅とは反対側の道を進みました。私には3日前にお爺ちゃんが濃紺のジャンバーを着て、グレーのズボンに寒そうに両手を入れて、小走りのような早歩きでこの道を西へ向かって進んでいく様子がはっきりと浮かんだのです。
~きっとこの道の先にお爺ちゃんはいる~
私も頭に浮かんだお爺ちゃんに合わせるように、小走りになりながら通りを進みました。家を出てから2時間ほど歩くと、道は無くなり、清掃工場や体育館、野球のグランドやテニスコートなどが広がる河川敷の運動公園に着きました。私は少し高台に上って進行方向の先を見渡しました。この先は、河川敷に入り湿地帯の中を水路が何本も走っています。雑草や葦が背丈ほどの高さまで生い茂っています。
~こんな沼地にお爺ちゃんは入り込んだのだろうか~
理屈で考えれば、足腰の弱っているお爺ちゃんにとってそれはあり得ないことでした。しかし、私は何度も常識では考えられないような結末をこの目で見てきました。それは人間の意思や体力は、時として常識を超えるような行動を可能にすることがあるからです。そして、何よりも私の頭の中のレーダーは、この期に及んでもさらに西へ、河川敷を越えて川の近くへ進むように指示を出しているのです。
私は今日、まさか沼地や湿地を進むとは思いませんでしたので、長靴の用意はしてきませんでした。しかし、ここまで来た以上、何としてもお爺ちゃんを見つけ出さなくては帰れません。革靴の中には容赦なく水が入り込んできます。川沿いに吹きすさぶ寒風は肌が切れそうなほど冷たく尖っていました。こうして一昨年の大晦日は、日が暮れるまで利根川の河川敷を歩き続けましたが、残念ながらお爺ちゃんを発見することはできませんでした。
~もしかしたらお爺ちゃんは、目撃談にあるように駅から電車に乗ってまったく別の町まで移動したのだろうか~
私は家に帰るとそんなことも思いながら、まずは暖かい風呂につかりました。そして私は今日撮ってきた画像に地図を添えて、遠方に住む依頼者のお孫さんに報告しました。その中で私はこの利根川の河川敷に迷い込んでいることは確かだと感じたこと。そして河川敷の足場が悪いことと、エリアが広いのでもう少し人手を出して手分けして探せば、きっと見つかること。そして特にお爺ちゃんがいると思われるエリアを絞り込んで伝えました。この作業が終わるころ、家の外から除夜の鐘の音が聞こえてきました。
そして私が捜索してから半月後に依頼者は人手を頼んで、利根川の河川敷でお爺ちゃんの捜索を行いました。そして私が寒さに震えながら歩き回った約100メートル下流域で、葦の茂みの中からお爺ちゃんは発見されたのでした。