彼女はまるで自分に言い聞かすように、私の言葉を受け止めていました。そして私の話を参考にして結婚するべきか否かを判断するように装いました。しかし、私にはこの時の彼女の気持ちが手に取るように伝わっていました。彼女はすでに覚悟を決めていたのです。それは母親にどれだけ反対されても、私にどれだけ幸せな未来を否定されたとしても、自分たちの愛を貫くことを決めていたのです。3度遠回りをしても切れなかった二人の縁に賭けてみようと考えたのです。私はさらに話を続けました。
「今まで3回も決めていた結婚式の日取りが延期になっています。それはあなたも感じている通り、あなたを守る目に見えないものが、あなたにこの結婚を辞めるように警告を発していると考えてください。それはあなたを守る強い力ですから、もし、あなたがこのまま結婚へ向けて進んで行こうとしたときに、思いもかけない4回目の警告が発せられる可能性もあるのです。それはあなたにとって取り返しのつかないものになるかもしれません。愛を貫くことは素晴らしいことです。でも発せられた警告を素直に受け止めることも時には必要になります。どうか愛に盲目にならずに、広い視野を持って今の状況を理解してください」
私は二人が破滅へ進まないように精一杯言葉を尽くして彼女に話しました。しかし、自分で語りながらも心のどこかで、彼女が私の言葉に耳を塞いでいると感じていたのです。
そして、彼女はお母さんに“結婚式場と式の日取りを決めてきたこと。そして新婚旅行は思い出の多いハワイに行くことを旅行代理店で予約したこと”を伝えました。お母さんは静かに「分かりました」とだけ答えました。その翌朝、悲劇が起こりました。お母さんが自宅の居間で首を吊って自殺をしたのです。お母さんは書き記した遺書の中で、娘さんに何度も詫びていました。
「娘の結婚を素直に喜べない自分が本当に情けないです。ごめんなさい。でも、あなたにはわかってもらいたのです。この結婚はあなたを破滅させることになるのです。それも二度と立ち直ることができないくらいに。私はあなたと彼の結婚生活の行く先を何度も見てしまったのです。私の言葉には何の根拠もありません。だから自分の感じたことを論理立てて説明することはできません。でも、私は今までの自分の経験から確実にこうなる未来を見てしまったのです。あなたは彼と結婚したのちに、悲惨な状況に追い込まれることになります。それも結婚してわずか2年ぐらい先のことです。その結果、あなたは夢も未来も幸せも、すべてを失うことになります。きっとそうなるのです。私は母親としてそれを見過ごすことはできません。自分の命に代えてもあなたを守らなければいけないのです。バカな母親を許してください。でも、あなたを破滅させないためには私がこうするより他に手立てはないのです。本当に愚かな母を許してください。どうか母の気持ちを汲んでくれるなら、この結婚だけは絶対にしないでください。そしてあなたの夢や希望を叶えて幸せに生きてください。あの世から見守っています」
娘を思い、命を犠牲にして守ろうとしたお母さんの行動は、親族や知り合いの多くから責められました。
~いったいどうしてそこまでして、娘の幸せを認めることができないのか~
そして母親の自殺によって結婚を諦めた娘さんにはたくさんの同情が集まりました。我が子の幸せを願う母親の思いは、彼女を心配する私の気持ちとは比較にならないほど重くて熱いものです。それだけ真剣に思い続けたお母さんは、ある意味、私以上に娘さんと彼の結婚生活をリアルに見てしまったのだと思います。同じように凄惨な暴力の現場やそのあとの彼女の苦しみを感じた者として、私にはお母さんの気持ちがとてもよくわかります。彼女はお母さんの自殺という4回目の警告を受けて、彼との結婚を取りやめました。そして彼とは別れて、別の人生を生きる覚悟を決めたのです。自分で納得できないままに、愛する人と別れた彼女の心の傷は容易に癒えるものではありません。きっと立ち直るまでには何年もの時間が必要になるでしょう。それでもあの凄惨な暴力やそのあとの彼女の苦境に比べれば、間違いなく彼女は母親に救われたのです。命を懸けて娘を守ったお母さんのご冥福を祈らずにはいられない出来事でした。