前回のブログで丑三つ時の同じ時刻にいつも目が覚めてしまう人の話を書きました。丑三つ時と言えば、“丑の刻参り”という呪いの儀式が知られています。以前、実際にこの儀式を行ったという方から相談を受けたことがあります。どうしてこの方が私に相談しなければならないような状況になったのか、今回はそれについて触れていきたいと思います。丑の刻参りのルールや作法は地域によって若干の違いがあるようですが、概ね次のようなものです。丑の刻(午前1時から3時の間)に、顔を白く塗り、真っ赤な口紅を付ける。白い服(白装束が望ましい)を着て、一本歯の下駄を履き、頭に五徳を被り、蠟燭を立てる。呪う相手の写真か髪の毛を藁人形に埋め込む。口に五寸釘をくわえて胸には鏡を下げて儀式を行う場所へ向かう。場所に着いたら鬼門(北東)の方向を向いて、恨みの念を込めながら木に藁人形を打ち込む。この際の木は、神社の御神木であればなお良い。そしてこの作業を7日間連続で行います。概ねこのように言われています。そうすることによって呪いの相手方は、藁人形の釘が打ち込まれた部分が悪くなり、死に至ることもあると言われています。そして丑の刻参りには一つのルールがあります。それはこの儀式を行っている様子は、誰にも見られてはいけないのです。もし、見られてしまったときには、呪いの効力は倍になって自分に降りかかります。しかがって万が一、誰かに見られたときには、目撃者を殺してしまわなければならないとされているのです。

 

そして私に相談した方が不安になったのもこのルールだったのです。相談者の方は、自宅の近くにある管理者のいなくなった“廃神社”を儀式の場所に選び、神社の境内にある木に藁人形を打ち込みました。その際に付近の様子を何度も確認して、周囲に誰もいない中でこの儀式を行いました。しかし、丑の刻参りを行った翌日に、高熱を出して会社を休みました。病院へ行って治療を受けて熱はすぐに下がりました。ただ、それからひどい肩こりと腰痛に襲われて蕁麻疹も出ました。夜寝ている間に嫌な夢を見てたびたび目を覚ましました。それは丑の刻参りを行ったときに目にした神社の境内の様子なのですが、朽ちかけた本殿横にある藪の中にはギョロっとした目が二つ、ランランと輝いていてこちらを凝視しているのです。確かにあの夜、藪の中まで詳細にチェックしたわけではありません。もし、誰かが藪の中に隠れていたとすれば、丑の刻参りの様子はすべて目撃されていたことになります。そう考えると、丑の刻参りの翌日から急に体調が悪くなったことも合点がいきます。それで心配になって私に相談してきたのです。

 

私は儀式を行っていた7日間の様子を霊視してみました。あの夜、誰かがこの方へ向けている目線あったのかどうかを確認したのです。私は何度も神社の中や周辺をチェックしましたが、人がいた気配を感じることはありませんでした。つまり、この方が丑の刻参りを行っていた様子を見た人はいないはずです。それにも関わらず、丑の刻参りを行った後から、体調が悪くなったのはなぜでしょうか。私はこのブログで何度も書いているように、人の意識が人の未来を作ることをこの方に話しました。悪い意識を持てば、思考が悪くなり、無意識にしている選択・判断・行動が悪くなりますから、自分の未来も悪くなるのが当たり前なのです。人を呪うとか、実際に丑の刻参りを実行するというのは、単にネガティブのレベルと越えた相当に悪い意識の状態です。自分の意識をそこまで悪くすれば、自分の体調や未来が悪くならない方が不思議です。私はこの方に話しました。

「あなたにそこまでの行動を取らせたということは、きっと相当にひどいことをあなたはされたのですね。でも、今はその嫌な思い出も過去のもので、現時点まで継続しているわけではありません。だとすればそれはすでに終わったことで、今さらその事実を消すこともできませんし、修正することも不可能です。そしてあなたがその人へ向けて、呪いの儀式を行った事実も、もう消すことはできませんし、修正することもできません。だとしたら、あなたはこの儀式を行ったことによって、自分の気持ちを整理して、過去の嫌な思い出や自分自身の憎しみから解放されるべきだとは思いませんか。終わった過去はもう取り戻すことはできません。それはあなたがやられた過去も、あなたがやった過去も同じです。この儀式によって相手への憎しみは捨ててください。そしてあなたの心の色が、もう少し明るさを取り戻すことができれば、体調はきっと良くなっていくはずです」

この方は私の話を黙って聞いていました。“人を呪わば穴二つ”という言葉があります。人を呪うことの怖さは、相手を傷つけることができたとしても、自分にもそれが跳ね返ってくることにあるのです。

 


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