そもそも私たちがこだわるものは何でしょうか。たとえばそれは仕事であったり、学歴であったり、資格であったり、お金であったり、権力であったり、肩書であったりします。見た目の格好良さや容姿にこだわる人もいます。これら私たちの本質ではなく身に付けているものに強いこだわりを持っている人は、これらのこだわりを捨てたら生きていけないぐらいに依存している人もいます。でも、中には本当にこれらのこだわりをきれいさっぱり捨ててしまい、人間らしく、自分らしく生きる道を探している人もいます。それは自分で覚悟を決めればできることなのです。私にも過去にこういった相談をされた方が何人かいました。

 

私は何もこれらのこだわりをすべて捨てて、皆さんにホームレスや仙人のような暮らしを勧めているわけではありません。努力をして高い学歴を目指すことも、良い仕事に就くことも難しい資格を取ることもそれ自体は非常に素晴らしいことだと思います。ただ、問題は高い学歴を目指すことや難しい資格を取ることが生きる目的になってしまっているケースです。豊かな人生や安定した暮らしを目指す上で、高い学歴や難関資格の取得は、それを大いに助ける手段になります。頑張って勉強して努力をして、難しい資格を取って、その資格にベースにして豊かな人生を送ることは良いのです。しかし、本来は手段であるはずの資格取得を人生の目的にしてしまう人がしばしばいるのです。高い学歴や難しい資格を取得して、“あなたは何をやりたいのか”そこがポイントになるのです。たくさん働いてお金をたくさん貯めることは悪いことではありません。しかし、ただ、貯金通帳の数字が増えていくだけでは、自分も周りも何も幸せにはなりません。そのお金を遣って、世界の多くの国へ出かけて知識や見分を広げることは、自分の心を豊かにします。そのお金を遣って勉強がしたくてもできない子供たちや働きたくても仕事のできない人を救うことができれば、困窮している多くの人たちの未来に明かりを灯すことになります。手段と目的をはき違えてはいけません。ここを間違えると、せっかく努力して獲得したこだわりも、何の意味のない無用の長物にしかなりません。

 

私がバブル時代に学んだ有名クリエーターのこだわりは、まさにこの部分を間違えていたのです。おしゃれなブランドの洋服を着て、素敵なレストランでおいしい食事やこだわりのワインを飲んでも、それが目的になってしまえば単なる自己満足にしかなりません。そこで自分の大切な人に喜んでもらうとか、夢や未来を語れる仲間との時間があって、初めてこのこだわりは生かされます。こだわりを持つことを目的とするのではなく、そのこだわりを生かす(=有意義に活用する)ビジョンを持っていることが必要なのです。そのビジョンを何ら持たずに、ただ、有名クリエーターの思考を実践した当時の私は、単に自分の選択肢を狭めて生きづらくするためのこだわりにしかならなかったのです。そのためそれからの私は“こだわり”というものを持たずに生きることをむしろ目指したのです。

 

私は今でも下手なこだわりを抱えるぐらいなら、こだわりを捨てて自分を解放した方が楽に生きられると思っています。人にとって重要なのは、自分が身に付けているお金や肩書や容姿ではなく、その内面にあります。そもそも人の本質はその人の魂にあって、肉体は現世を生きるために便宜上必要な“借り物”だと思っています。生きている時間が長くなって、人の本質に自然と目が向かうようになると、自分を着飾るためのこだわりは何の意味を持たないことがよくわかります。私は毎日長時間にわたってパソコンの画面を見ています。目や腕が疲れてきたときには、窓からぼんやりと空を眺めています。空に浮かんでいる雲が風に流されていく様子を見ていると、自分もこの雲のように自由に気流乗るように生きていけたらと思います。いつかそんな生き方ができることを目指して、あまり先を考えずに今、目の前にある仕事を一つ一つこなしていこうと思います。

 


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