前回のブログで書いた通り、私が若いころは景気はバブルへ向かって上昇し続けて、さらにバブル時代に頂点を極めて世の中にはお金があふれていました。私の周囲にも会社に籍を置きながら、ちょっとした特技を生かしてセカンドビジネスを行っている人が何人もいました。中にはセカンドビジネス用に事務所を借りて、法人登記をしてサラリーマンと並行して本格的に仕事をしている人もいました。たとえば長年趣味で写真を撮影していた人が、カメラマンの名刺を作って、自分の営業に出かけます。文章を書くことが好きな人が、ライターの名刺を作って自分を売り込むために会社を回ります。このころ多くの業界は仕事があふれて、売り手市場になっていました。人手不足で“青田買い(=企業が人材確保のために卒業予定の学生の採用を早い段階で内定すること)”も行われていた時代です。ですからこんな感じで営業に回っても比較的容易に仕事をもらうことはできたのです。

 

ですから名前の知られたクリエーターともなれば、ちょっとした仕事を引き受けて、100万円を超えるような報酬をガンガン稼ぎ出していました。フリーのライターやコピーライター、カメラマン、演出家、プランナー、ディレクターなど、少しでもマスコミで取り上げられた人であれば、いとも簡単に大金を稼いでいたのです。また、そういった先生は、スクールを開講したり、セミナーを主催したりして、さらに大金を稼いでいました。彼らの仕事にそれだけの価値があるのかどうかは実のところよくわかりません。それでもクライアントは名前の通った人に関わってもらうことで、自分の仕事の価値も上がるように錯覚していたのです。

 

20代前半のころ、私も大金を支払って、先生方のセミナーを何度か受けに行きました。今にして思えばそこで得たものはほとんどありません。時代が良かったから彼らは大金を手にすることができたし、マスコミにもてはやされたのです。景気が後退して世の中が厳しくなったとき、彼らは蜘蛛の子を散らすように一斉にメディアから消えていったのです。それでも当時の私は、マスコミに出ている有名先生の言葉なら、間違えることはないと単純に考えて、先生の考えに基づいて行動していきました。今、振り返ると彼らから教わった思考を実践して、人生を遠回りさせられたことがいくつもあります。その一つを紹介すると、

「人はこだわりを持って生きなければいけない」

というものがありました。この言葉は当時の有名クリエーターの多くが語っていたのです。仕事はもちろんのこと、彼らは衣食住やライフスタイルの細部に至るまで、すべてに自分のこだわりを反映させて暮らしていました。また、この時代はそれがとても格好よく見えたのです。たとえばこのブランドのメンズジャケットには、このブランドのメンズパンツを合わせるといった具合です。イギリス製のオープンカーに乗るなら、ボディーカラーはブリティッシュ・グリーンでなければいけないとか、このレストランに入ったら、この料理を注文しなければいかないとか、この料理にはこのワインを飲まなければいかないといったこだわりです。まだ、20代前半で世の中も分からず、人生経験や知識もなかった私は、有名先生の言葉を信じて、生活のあらゆる場面にこだわりを作りました。それは車や服装、ライフスタイルはもちろんですが、他にも今にして思えばどうでもよいことまでこだわって自分のルールに縛られていました。たとえば仕事の合間にパソコンにプレインストールされているカードゲームをやって息抜きをしています。15分ぐらい遊んで仕事に戻るつもりが、「3連勝したら終わりにしよう」というこだわり(ルール)を自分で決めてしまいます。そういう時に限って2連勝はできても3回目で負けてしまうのです。このこだわりが外せなくなった時期は、自分で決めた“3連勝で終了”というこだわりのために、3時間も無駄に費やしてしまったこともありました。こだわりを持って生きても、それはあくまでも自己満足にしかなりません。そして自分で自分の人生を生きづらいものにして行ったのです。(2)へ続く。

 


シュンさんのホームページ ここをクリック