先日、アリの巣と群れを展示している多摩動物公園で、「女王アリが死んで、群れが衰退してやがて終焉を迎える様子をあえて展示している」という記事を目にしました。今までは女王アリが死んで群れが衰退し始めた時には、バックヤードで飼育している若い女王アリの群れと入れ替えて展示していました。しかし、命あるものは人間でも動物でも昆虫でも、いずれは死を迎えることになります。女王アリは子を産みます。アリの巣の中で働いている“働きアリ”はすべてが女王アリの子供(娘)です。女王アリの寿命は数年間、働きアリの寿命は半年から1年ですから、女王アリが死んでしまえば、群れは長くても1年以内には終焉を迎えるのです。その様子を見れる機会はなかなかありませんから、動物園ではこのような展示を始めたのです。

 

私は子供のころに、家の庭で動き回るアリを見ながらふと考えたことがあります。もし、体の大きさが何百メートルもある巨大宇宙人が地球にやってきて、人間社会を見たらどのように思うのだろうかと。きっと巨大宇宙人から見れば、地上で動き回っている人間はアリのように映るのではないでしょうか。もし、足元で動き回っている一匹のアリが、自分は他のアリよりも優秀だとか、偉いと思い込んでいたら、私たちはその様子を見てきっとこう思うはずです。

「アリは所詮、アリでしかないのだから、その中に優秀なアリも偉いアリも存在しない。それなのにこのアリはいったい何を勘違いして傲慢になっているのだろう」と。そしてその姿はきっと滑稽に目に映るはずです。私たちは自分の持っているお金や学歴や肩書や友人などによって、自分は優れているとか、偉いと思い込んでしまうことがあります。逆に他人の持ち物を羨ましく思ったり、否定したり、焼きもちを焼くこともあります。でも、巨大宇宙人から見れば、人間はみんな同じようにしか見えません。同じように生まれて、同じように生きて、同じように死んでいく人間に、たいした違いなんてないのです。今回、多摩動物公園の記事を読んで、子供のころにそんなことを考えていた自分を思い出しました。

 

ところで今回の記事に書かれていた多摩動物公園のアリは、「ハキリアリ(Atta sexdens)」と呼ばれる種類です。ハキリアリとはまさに“葉を切る”アリだから名づけられています。多摩動物公園で展示されている群れは、南米ペルーで生まれました。女王アリや働きアリが巣を作り始めて半年程経った時に、巣ごと採集されて2014年12月に日本に来ました。ハキリアリは“農業を営む昆虫”として知られています。ハキリアリは文字通り、葉っぱをかみ切って、巣の中に持ち込みます。持ち込んだ葉っぱはさらに細かく嚙み砕いて、キノコを栽培するための畑(菌園)にします。キノコと言っても茎が生えているわけではなく、白い塊の菌類です。これがハキリアリの餌になるのです。ハキリアリの社会は完全な分業制です。女王アリは子供を産むのが仕事です。働きアリも、巣の周囲の探索、葉っぱを運ぶルートの構築・保守・安全確保、葉を切って運搬、葉を受け取り細断・加工、菌園の増築、菌園の保守・巣の構築、巣内の清掃、菌糸体(餌)の収穫・古くなった菌園の解体、卵・幼虫の世話や引っ越し、働きアリの世話・掃除、女王アリの世話、これらの作業はそれぞれ役割が決められていて、働きアリは自分に与えられた作業だけを黙々とこなします。自分の仕事の手が空いても他の仕事を手伝うことはありません。そして、多摩動物公園昆虫園本館の目玉として活躍してきた女王アリは、来日して6年半が経った今年の5月に死亡しているのが確認されたのです。女王アリが死んだことで新しい家族は生まれてきませんから、寿命の短い働きアリが死を迎えるにしたがって、それぞれの作業場に欠員が生じます。ハキリアリの巣は母親の女王アリと娘の働きアリで構成されています。人間でいえば家族で家事や農作業を分担しながら生きています。ですから作業に欠員が出てスムーズに仕事が進まなくなっても、他の家族を見捨てて脱走する者は出ません。死ぬまで自分に与えられた作業を黙々とこなしながら、自分が生まれた家の中で生涯を全うするのです。母親が死んで自分の兄弟も順に亡くなり、このままこの家にいても自分もいずれ死ぬことにしかなりません。それでも外に活路を求めるのではなく、自分の生まれた家で死んでいくことを選択するのです。こんなアリの社会の在り方を人間に置き換えてみた時に、潔くもはかない定めを感じずにいられませんでした。

 


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