先日、原因不明の病気で入院している方のご家族に頼まれて、慶応大学病院まで出かけてきました。慶応大学病院は東京のまさに中心に当たるJR中央線「信濃町駅」の目の前にあります。私がここに来た理由は原因不明の病気で徐々に容体が悪化している患者さんを救うことでした。この患者さんに悪影響を与えている元凶の不浄霊を祓い、患者さんにパワーを送ります。そしてエネルギーの循環を良くして、少しでも元気になって回復してもらうことが目的です。本来なら病室に入り、ベッドの横から施術をしたいのですが、今はコロナ対策で家族でもない私が病室まで見舞い行くことはできません。私は病室の窓が見える近くの駐車場を探してそこに車を止めました。そして入院している方と病室を写した画像を目の前に置いて、病室にいる自分をイメージしながら約1時間にわたってパワーを送り続けました。この結果はそれから4~5日してはっきりと表れました。検査の数値は日に日に改善して、施術を行った約3週間後にこの方は退院することができました。医師はどうしてここまで悪化したのか、そしてどうして回復したのか理由がわからずに、キツネにつままれたように驚いていたと聞きました。結果は上手く回復できてとてもよかったのですが、今日の話は信濃町の隣にある新宿区左門町に舞台を移します。
私は施術が無事に完了してホッとしたこともあって、珍しくとてもお腹が空いたのです。そこで車を病院の近くのパーキングに止めたまま、外苑東通りを四谷三丁目方面へ歩きながら、食事のできるお店を探しました。ただ、このときはコロナの影響で閉まっている店が多く、空いている店は混雑していました。そこで大通りから裏道に入ってお店を探すことにしたのです。
裏道に入って少し歩くと、赤・白・青とさまざまな“のぼり旗”がはためくお寺の入り口に来ました。山門の両脇には「於岩稲荷」と書かれた大きな提灯が立てられています。そして山門の中には「長照山 陽運寺」と書かれた大きな表札が立てかけられていました。そしてその脇には「四谷怪談お岩さま縁の寺」と赤い文字が躍っていました。私は四谷怪談の文字に興味を引かれて、陽運寺に立ち寄りました。そしてそこからさらに足を進めると、通りを隔てた陽運寺の斜め向かいにも四谷怪談ゆかりの神社があったのです。「四谷於岩稲荷田宮神社」がそれです。私は二つの寺社に訪れながら、四谷怪談の話を思い出していました。四谷怪談のお岩さんの話は子供のころからテレビで何度も見てきました。ですからもう、人にストーリーを語れるほど頭に入っています。
同心の民谷左門は娘の「お岩」に婿養子「伊右衛門」をとって、民谷家の跡を継がせます。しかし伊右衛門は相当な悪人で、家督を継ぐと目障りな左門を辻斬りに見せかけて殺害します。そして大店(おおだな)の娘と恋愛関係になると、今度は妻のお岩が疎ましくなってきます。そして良薬と偽ってお岩に毒を飲ませます。お岩はこの毒のせいで、髪の毛は抜けて顔の半分はただれて、二目と見られぬ姿になってしまいます。この醜い姿を見た伊右衛門の仲間の按摩の宅悦は恐怖に怯えて、伊右衛門の企みをお岩に話してしまいます。お岩は毒の作用で悶え苦しみ、伊右衛門を恨みながら死んでしまいました。伊右衛門は家に帰ると、死んだお岩の死体を戸板に括り付けて川へ流します。お岩が死んだことで邪魔者がいなくなった伊右衛門は、大店の娘と祝言を挙げます。そして婚礼の夜、新妻と床につくと伊右衛門の前にお岩の幽霊が現れます。伊右衛門はお岩の幽霊を見ると錯乱して正気を失い、新妻を殺害して自らもお岩の幽霊に殺されてしまうのです。これが良く知られた「東海道四谷怪談(通称:四谷怪談)」のストーリーです。
この話は元禄時代にあった実話をモチーフにして4代目鶴谷南北が作った歌舞伎狂言です。文政8年(1825年)に江戸中村座で初演されました。したがって私の頭の中でも「四谷怪談」は創作であると思っていました。しかし、二つの寺社を訪れる中で、私が知っていた四谷怪談とは、まったく異なるストーリーが、実際のお岩と伊右衛門の間にあったことを知ったのです。(2)へ続く。