そもそも白鵬が間垣の親方株を取得できたのは、ちょうどこの時点で間垣親方が不在になっていたからです。直近の(20代目)間垣親方(元幕内:土佐豊祐哉)は同門の時津風親方(元幕内:時津海正博47歳)が不祥事によって日本相撲協会から退職勧告を受けて退職したため、今年2月に親方株の名跡変更をして第17代の時津風親方になっていました。そのために間垣親方が空いていたのです。この16代目時津風親方は、日本相撲協会の新型コロナ感染症対応ガイドラインに違反して、風俗店やマージャン店に出入りしていたことが発覚して処分を受けたのです。そして先代の15代目時津風親方も2007年に部屋の力士をしごきによって暴行死させた責任を取らされて、解雇処分を受けていました。
このような不祥事によって空席になった間垣の年寄名跡ですが、その前の19代目間垣親方(元小結:時天空慶晃)は、現役時代に悪性リンパ腫を発症して引退後、後進の指導を続けていたものの、2017年1月に37歳の若さで亡くなっているのです。
その前の18代目間垣親方(元横綱:2代目若乃花幹士)は、現役時代は横綱まで上り詰めたものの引退後はトラブルの連続でした。まず、現役中に師匠(二子山親方:元横綱・初代若乃花)の長女と結婚したもののホステスと男女の関係になっていたことが発覚してわずか1年で離婚しています。そして間垣の親方株を取得して、間垣部屋を興したものの54歳の時に脳出血を発症して生涯車いす生活を強いられています。そして2008年5月に弟子を竹刀で叩く暴行事件を起こして、30%の減俸と厳重注意処分を受けました。さらにその年の8月には弟子の若ノ鵬が大麻所持で逮捕された責任で、理事職並びに大阪場所担当部長を辞任しました。そしてこの年の12月には弟子の若三梅が急性骨髄性白血病のため、25歳の若さで病死しています。そして最後には日本相撲協会が公益法人化する際に求められた「年寄株の名跡証書」が提出できず、定年を待たずに60歳で退職しています。これは借金のために親方株を譲渡したためではないかと言われています。
さらにその前の第17代間垣親方(元関脇:荒勢永英)は2008年4月に脳梗塞で倒れて、実家のある高知県で療養していたものの、8月に急性心不全で亡くなっています。59歳でした。そしてその前の第16代間垣親方(元小結:清水川明於)も1977年に51歳で審判委員に抜擢されたものの体調不良で2場所しか勤めることができず、1979年2月に肝硬変のため亡くなっています。53歳でした。その前の第15代間垣親方(元十両:信濃川藤四郎)は、1940年に応召されて、戦後はシベリアに抑留後の1949年に復帰しました。しかし、すでにピークを過ぎていて、わずか3場所務めるものの勝ち越すことはできずに引退しました。そして1950年に間垣親方を襲名したものの1958年に39歳で廃業したのです。
私は今回、このブログを書くにあたり、記録の残る1881年の第9代間垣親方(元幕内:出釈迦山峯吉)まで調べてみましたが、いずれも最後は、死亡か廃業、退職(=18代目60歳で退職)か返上となっていて、65歳の定年まで無事に勤め上げた親方は一人もいないのです。このことが“縁起が悪い”と言われる根拠となっているのです。この理由を考えた時に、私は間垣部屋の土地や名跡の字画などではなく、やはりこの“間垣”という韻にあまり良い感じを受けないのです。
心で何を思うかによって自分の意識を良くしたり悪くすることがあります。しかし、声に出すことで、その力はさらに強く作用するのです。皆さんも常に良い言葉を口に出して、良い運気や良い縁起を自分に引き寄せてください。縁起の良い四字熟語を列記しておきますので、ぜひ声に出して唱えてみてください。
一粒万倍(いちりゅうまんばい)・慶雲昇光(けいうんしょうこう)・春山如笑(しゅんざんわらうがごとし)・笑門来福(しょうもんらいふく)・新春万福(しんしゅんばんぷく)・前途有望(ぜんとゆうぼう)・大願成就(たいがんじょうじゅ)