7月23日に開会式の行われた「東京オリンピック」は、その2日前の7月21日から8月8日までの19日間の日程で206の国と地域が参加して、33競技339種目で熱戦が繰り広げられています。コロナが蔓延している中でのオリンピック開催には否定的な意見も数多く聞かれました。それでも参加している選手たちは自分の種目に全力を出して戦っています。2016年の「リオデジャネイロオリンピック」から5年の間、選手たちは血のにじむような練習を続けて、国内の選考会を突破して、このスポーツの祭典で最高のパフォーマンスを見せるために東京に集まったのです。政治や思想の違いを越えて、スポーツを通じで全力をぶつけ合う選手たちには、しばしば心を動かされます。

 

「バトミントン女子シングルス」準々決勝で敗れた優勝候補の奥原希望選手は、試合後のインタビューで

「悔しいけど、自分が5年間やってきたことの答え合わせが終わったなと思った」

と悔し涙を流しながら話していました。そして、

「この5年間、本当にいろいろなことがあった。良いことも悪いこともあった。でも、そのたびに本当にたくさんの人に支えられて、私は幸せだなと、やっぱりバトミントンで返したいなと思ってここまで走ってきた。結果では皆さんに報告することができなかったけど、これが奥原希望のプレー。最後まで食らいついたこのプレーが皆さんに届いたらうれしいなと思う」

と述べていました。

 

私はたまたまこの試合をテレビで見ていました。世界ランキングでは格下の中国の「何氷嬌」選手は、第1セットと取られたものの、まったく諦めないでシャトルを追い続けていました。それは奥原選手も同じです。私はこの結果について「勝ちたいと思う気持ちが何選手の方が強かった」とか、「勝利への執念が何選手の方が上回った」とは全く思っていません。奥原選手もインタビューで応えている通り、全力でシャトルを追い続けてこの日の自分にできる最高のパフォーマンスは見せていました。ただ、スポーツでは皮肉なことに人智を越えた運・不運が結果を左右することがあります。この試合でもネットに当たったシャトルがどちらのコートに落ちてもおかしくない場面はたくさんありました。そしてライン上に落ちたシャトルは、チャレンジ(=ビデオ判定)で見なければ分からないほど、微妙にラインの内外に落ちていました。これらの場面でもし何本か奥原選手に有利に傾いていたなら、結果は変わっていたかもしれません。私は奥原選手のインタビューを聞いて胸が熱くなりました。5年間の偽りのない努力と、全力を出し切ったパフォーマンスがあるから言える言葉だと思いました。結果は残念でしたが、私はインタビューを聞きながら奥原選手の5年間がしっかりと伝わってきました。そして心から「ありがとう」と「お疲れさま」と伝えたいと思いました。

 

私が今、このブログを書いている時点で日本は金メダル15個、銀メダル4個、銅メダル7個を獲得しています。国別のメダル獲得数で言えば、トップの中国は金メダル18個、銀メダル9個、銅メダル11個を獲得しています。日本はこの時点で第2位ということになります。過去にオリンピックで日本が獲得した金メダルの最多獲得数は1964年の東京大会と2004年のアテネ大会の16個です。ただ、オリンピックはそもそもメダル獲得競争ではありません。メダル獲得数が多いことが良いとするならば、せめて人口を比較しなければ不公平になります。メダル獲得数トップの中国は18個の金メダルを獲得していますが、人口は約14億人います。スロベニア、クロアチア、コソボはそれぞれ2個の金メダルを獲得しています。スロベニアの人口は209万人、クロアチアの人口は406万人、そしてコソボの人口は179万人しかいないのです。中国とコソボの人口を単純比較すれば782倍違うことになります。そう考えればコソボが2つの金メダルを獲得していることはとても素晴らしいことになります。

 

競技が終わればメダルを取れた選手と取れなかった選手に分かれます。もちろん努力が実ってメダルを獲得できるに越したことはありません。でもそれぞれに東京に来るまでの人生があり、本番でのドラマがあります。そんな素晴らしい感動のシーンを単にメダルが取れたとか、取れないで片づけてしまうのはとてももったいないように感じました。(2)へ続く。

 


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