赤塚駅ではそもそも土地に棲んでいる地縛霊が気持ちの弱くなった人を呼び込んでいます。そしてそこで命を落とした方の浮かばれない魂が、自分に近い波長を持って、自分と似たような状況にある人を呼び込んで死にいざなっていきます。こうやって多くの人が亡くなっている事故や災害の現場が、そのあとで心霊スポットのようになって、原因の分からない怪異を引き起こしていることはしばしばあります。
私は以前、出張鑑定を頼まれて大阪まで行ってきました。鑑定が終わり、日本橋駅を降りた私は、御堂筋線のなんば駅を目指して数百メートルを歩きました。大阪に来ることはめったにないので、知らない土地の波動や空気を吸ってみたいと思ったのです。ただ、生活圏を外れた知らない土地を歩くことは、私のように霊的な間口の広い人間にとっては非常に危ないことを改めて再認識することになりました。日本橋駅からなんば駅まではほぼ真西にまっすぐに進みます。ただ、日本橋駅を過ぎてから100mほど歩くと、すぐに頭がグルグル回り出して、立っているのも怖くなりました。しかし、この土地の中で休憩する気持ちにはなれません。ともかく一刻も早くこの場を立ち去りたい一心でフラフラになりながらなんば駅へ向けて足を進めました。ただ、中間あたりに差し掛かった時、身体が燃えるように熱くなり、息が苦しくなりました。いきなり咳き込んだり、むせ返してしまい、まともに空気を吸えないのです。全身から滝のように汗が流れて、目の前が真っ暗になりました。
”このままでは倒れてしまう、どこかで休まなければ”
そう思った時、ビックカメラの大きな店舗がすぐ隣にありました。何階建か数える余裕はありませんでしたが、かなり大きくてきれいな店舗でした。私は思わず館内に入ってベンチに腰掛けようと思いました。でも、足をお店へ向けて進めたとたんに苦しさは倍増したのです。
”ここは入ってはいけない”
とっさにそんな声が頭に響きました。私は焼けるような熱さや息苦しさを感じながら、頭の中では古い時代の景色を見ていました。それは頭に浮かんだ人の髪型や服装、また街並みから判断できます。私はほとんど視界が見えない状態でも、足だけは必死で動かし続けました。すると少しずつ苦しさは和らいでいきました。そして倒れ込むようにして、なんば駅構内のベンチにもたれかかったのです。気が付くと私は駅のベンチで1時間以上も横たわっていました。そして御堂筋線で新大阪駅へ出て新幹線で東京へ戻りました。
新幹線の中でもずっと眠っていた私は、東京に着いてからは普段の状態に戻りました。こんなに強烈な霊障は久しぶりでしたので、家に帰ると私は日本橋~なんば周辺について調べてみました。すると私が受けた霊障の理由はすぐにわかりました。私が逃げ込もうとしてやめた「ビックカメラなんば店」が、まさに過去に悲惨な事故を起こした現場だったのです。
”千日デパート火災”
それは今から49年前の1972年5月13日に起こりました。ここで死者118名、負傷者81名を出した日本のビル火災史上最大の惨事が起きていたのです。私がビックカメラの近くを歩いているときに感じた焼けるような全身の熱さや、むせ返って息のできない苦しさは、この火災で命を落とした人たちの魂に同調した結果だったのです。無念の思いを抱えて、不幸にもここで亡くなった多くの人の魂は、49年経った今でもこの場にとどまって救いを求めているのです。1972年(昭和47年)のことですから、この惨事について私は覚えています。この火災からしばらくはテレビも新聞もこのニュースで埋まっていました。それではどうしてこのような凄惨な火災が発生して、今はどのような状態になっているのか。じっくりと見ていきたいと思います。(3)へ続く。