前回は呪詛を例に、自分の認識によって影響度が変わることをお話しました。どのような出来事でも自分の受け止め方によって結果が変っていくことは、呪詛に限った話ではありません。たとえば学校や職場での”いじめ”の問題も、自分がいじめられているという認識を持った瞬間から、強くのしかかってきます。それは呪詛のケースと同じです。相手が自分にとってネガティブな感情を持って意地悪く接してきたとしても、それに気づかなければ自分には何らネガティブな影響は出ません。

 

以前、私に相談された方は、たまたま近所の公園を通りかかった時に、小学校低学年の自分のお子さんが、お友達からからかわれたり、はやし立てられている状況を見てしまいました。慌てて子供のところに駆け寄ると、いじめていた子供たちは、お母さんの顔を見て蜘蛛の子を散らすように逃げていきました。それは自分たちの気持ちの中に意地悪をしているという後ろめたさがあったからです。お母さんは家に帰ったあとで息子に問いただしました。

「学校でお友達に意地悪されたり、いじめられたりしていない?もし、嫌な思いをしているなら、ちゃんとお母さんに話してね。お母さんが、先生やその子のお母さんに話して、すぐにやめさせるからね」

すると息子からは意外な答えが返ってきました。

「うん、全然大丈夫だよ。学校でも公園でも、仲間外れにされたこともないし、みんなと楽しく遊んでいるから」

息子はあっけらかんとして、楽しそうにそう話したのです。実際、息子は笑顔で学校へ通っています。学校を嫌がったこともありません。この言葉を聞いて、お母さんはもう何も言えなくなってしまいました。つまり、大人から見れば、意地悪やいじめに見える行動でも、いじめている本人に意地悪をしている自覚があったとしても、やられている側がそのように認識しなければ、何ら負担にはならないのです。

 

それは大人の世界でも同じです。会社の中で受けるハラスメントでも、そこに暴力や脅迫を伴わない限りは、自分の気持ちを切り替えたり、受け止め方を変えることで、その負担を減らすことは出来ます。嫌味ばかり言って人格否定をするような上司であっても、そのことに対する自分の認識をずらすことで、苦しさが軽減できることはあります。ただ、これには限度がありますし、今ではハラスメントは、損害賠償の対象になるように不法行為として認識されています。ですからまずは自分の受け止め方を変えることで、何とかやり過ごすこと目指してください。ただし、ハラスメントの内容が、限度を超えているなら別の対応を考えていかなければ解決できません。