先日、私に相談した方は、とても大きな不安を抱えていました。それは”自分が次の誕生日に死ぬのではないか”というものでした。現在、この方は特に大病しているわけではありません。多少の体調不良はあっても、すぐに入院や手術を要するような状態ではありません。毎日、電車に乗って1時間ほどの会社まで、休むことなく通勤しています。仕事は営業職ですから、コロナの影響でお客さんと対面で話すことがなかなかできません。それでも手紙を書いたり、オンラインでアプローチしたり、販促イベントを開催したりして、リストラされることなく仕事を続けています。
ただ、この方によると、子供の頃から時々”予知夢”を見ていたというのです。最初は叔父に当たる親族が、病室で死んでしまった夢でした。夢を見た翌日に叔父さんは亡くなりました。ただ、このとき叔父さんは、重病を患って入院していましたから、偶然そうなったのではないかと思い、あまり気に留めないようにしていました。それからしばらくすると自分の祖母の亡くなる夢を見ました。夢の中でお祖母さんは、正月のご馳走が並んでいるリビングで、急に倒れて亡くなったのです。そしてその夢を見てから約1か月後のお正月に、本当にくも膜下出血で倒れて亡くなったのです。
このような出来事はその後もたびたび起きました。友人が事故に遭って死んだときも、友達が自殺した時も、その直前から1か月くらい前にリアルな夢を見ているのです。夢の中ではその時期を示すようなヒントが明確に示されます。それとともにどの夢の中でも共通する映像が浮かんでいます。死に装束を着た髪の長い老婆が、死者の近くに現れて、お経のような意味不明の呪文を唱えているのです。その姿はまさに死神のようでした。そしてこのリアルな夢を見ると、そこに出てくる知り合いは、必ず死んでいるのです。例外は一度もありませんでした。
そしてついに夢の中に自分が出てきたのです。夢の中で自分はちょうど誕生日の日に死んでいます。その後に行われたお葬式では、正面に自分の遺影が飾られて、その下に棺が置かれています。その中には自分が横たわっています。そして棺の横には死に装束を着た死神のような老婆が寄り添っています。ただ、死んだ場所と状況が夢には出てきません。誕生日に死んだことは示されていますが、死因が事故なのか病気なのかは不明なのです。夢の中では死んだ後は、葬式の場面になっています。その点は今までと異なるので、この方は誕生日に自分がどこでどのようにして死んでいくのか私に見てほしいと頼んできたのです。
私も子供の頃から若い頃は、よく予知夢を見ました。最近は以前ほどは見なくなりましたが、それでも時々見ることがあります。ですからこの方が感じる恐怖は良く分かります。私はまず、この方の命が本当に次の誕生日で尽きてしまうのかを観てみました。私が霊視で確認したところ、この方の2年後や5年後を明確に感じ取ることは出来ました。それではなぜこの方が”自分が死ぬ”という不吉な夢を見てしまったのでしょうか。私はこの方の寿命を霊視で確認した時に、憑依している不浄霊の存在を明確に感じていました。
人間の感情も感性も霊感も波のようにいつも動いています。これらは常に一定のレベルで働いているものではないのです。その時々の状態のよって、コンディションは常に変化しています。そこに生霊とか霊体とか霊的なものが入り込んでしまった時に、いつもとは違う形で感じたり、見えてしまうことはあるのです。ですからこの方は、本来の自分であれば、見ることの無かった予知夢を憑依した不浄霊によって見させられていたのです。
この方は予知夢は見ますから霊的な間口は比較的広いのです。ただ、霊の憑依を受けた経験はあまりありません。ですから今回の夢が不浄霊によってゆがめられたものであることには気が付かなかったのです。霊的な間口の広い人は、現実も夢も霊的なものによってゆがめられることがあります。ですから悪影響を受けた時には、すぐに祓ってコンディションを一定に保つように注意しなければならないのです。