東京都練馬区光が丘、旭町及び、板橋区赤塚新町にある東京都立「光が丘公園」は、練馬区最大の公園です。広さは60・7ヘクタールで1万6300本の樹木と6万200株の植物が植えられています。東武東上線の成増駅から南へ1キロ少し離れた場所にあります。ここはそれまではアメリカ軍の家族向け住宅「グラントハイツ」になっていましたが、1973年に返還されて整備された後、1981年に開園しました。ただ、「グラントハイツ」が建てられる前は、「成増陸軍飛行場」(通称:高松飛行場)がありました。
1942年4月18日に日本本土に対する初めての空襲(=ドーリットル空襲)が行われたことから、帝都防空の目的でこの飛行場が突貫工事で建設されたのです。工事には陸軍近衛師団と第1師団で編成された赤羽工兵隊(約700人)に近隣在郷軍人で編成した荒川作業隊(約700人)、さらに近隣青年団で編成した武蔵野防諜突撃隊(約170人)さらに豊多摩刑務所の囚人や朝鮮半島からの出稼ぎ労働者、産業報国隊、学徒など、多い時には昼夜交代制で述べ3千人が就労する大工事となりました。滑走路の幅は60m、長さは1200mで、完成後に陸軍第47飛行戦隊、第43飛行場大隊、さらに航空廠立川分廠成増分遣整備隊が置かれました。ただ、戦況が悪化した終戦間近には、南方での戦力回復作戦として、特攻第48振武隊、特攻第231振武隊や飛行第101戦隊、飛行第102戦隊、飛行第103戦隊も駐屯して、帰ることのない南方への特攻攻撃へ若者たちが飛び立っていた飛行場でもあるのです。
こういった悲しい歴史を抱えた土地だけに、きれいに整備された光が丘公園では昔から心霊話や都市伝説が語り継がれています。たとえば”公園の近くで亡くなった小学生が公園横の電話ボックスに立っている”とか、”公園の出入り口近くのトイレで亡くなった女性が深夜にトイレに出ている”という話。また、公園内の小さな滝の近くに男性の幽霊が出る”という噂などです。
実際、この公園では新聞に載るような事件がいくつも起きています。公園にたまっていた不良グループが、18歳の男子高校生に金属バットで殴りかかり、高校生は顔面を骨折する重傷を負っています。この事件ではたまっていた18人の不良グループのリーダーら3人が逮捕されています。また、早朝に公園内を散歩していた高齢男性7人を次々に襲った16歳の少年二人も逮捕されています。少年らは散歩していた81歳の男性に「金を出せ」と脅して、逃げる男性を200mに渡って追いかけて、腹や腰を蹴るなどの暴行を加えて現金2千円を奪いました。男性はろっ骨を骨折して、全治1か月の重傷を負いました。さらに散歩やラジオ体操をしていた67歳から82歳の高齢者男性も次々に襲って、現金4300円を奪いました。このような非道な犯罪が繰り返されていることに、この土地に染みついた建設作業員や特攻隊員たちのやり場のない怒りや悲しみの思いは明確に影響をしていると思います。こういった土地に立つとき、人の心は殺伐として、人間らしい優しさは失われていきます。
私は光が丘公園には、今までに3回くらい訪れたことがあります。日中は園内の野球場やテニスコートから歓声が聞こえ、賑わいを見せていますが、日が落ちてくると当たりの雰囲気は一変します。生きている人の気配はほとんど感じられなくなり、この土地に思いを残して死んでいった霊たちのざわめきが、あちこちの木々の後ろからこだましてくるのです。