同じ出来事が起こっても、受け手の気持ちによって、その出来事の意味は大きく変わります。たとえば誰かに“馬鹿野郎!”と言われた時、普通ならそこに怒りや反発の気持ちが沸き上がります。しかし、言った人を強く信頼しているような場合、その言葉を発した意味を考えて愛情のこもった言葉だとありがたく思うこともあります。同じ人から同じ言葉をかけられたとしても、それを受け取るときの自分によって、相手の思いは大きく変化してしまうのです。

 

以前、長年、作家をしている方から、ちょうどこのことを証明するような出来事を聞いたことがあります。あるとき、この方が数年ぶりに新刊本を上梓しました。するとこの方へ宛てて、ファンレターが届きました。そこにはファンの男性から作家の方へ向けてお礼の言葉が並んでいました。

 

この男性は数年前に出版されたこの作家の本を東京駅の八重洲ブックセンターで購入していました。大阪出身のファンの男性は、自分で会社を興して東京で商売をしていました。一時は従業員を何人も雇うほど仕事は順調でした。しかし、時流の流れがかわると、ニーズの変化から取り残されてしまい、結局この会社は倒産してしまいました。

 

男性は、有り金すべてを債権者の返済に充てたものの、まったく足りずに大きな借金を背負ってしまいました。次の仕事の目途も立たず、友人はいなくなり、生活費もありません。男性は生きる希望を失い、死ぬことしか考えられませんでした。男性は“どうせ死ぬなら、生まれ故郷で死のう”と考えて、東京駅で新大阪までの新幹線の切符を買ったのです。

 

男性が新幹線の発車時刻を確認すると、まだ1時間近くの待ち時間があります。そこで男性は何気なく、八重洲ブックセンターまで歩いて新幹線の中で読む本を探したのです。何かに気持ちを向けていないと、すぐにでも死んでしまいたくなりそうだからです。そして、何気なく手に取ったのが、この作家が当時、出版した本だったのです。

 

男性は乗車している3時間弱の間、この本を読み耽りました。本の内容は夢に破れて故郷に帰ってきた男が、家族や友人たちに支えられながら立ち直り、やがて自分が本来生きていく道を見つけ出していく物語でした。男性はこの物語を自分の人生に重ねました。涙が止めどなくあふれてきました。そして新幹線が新大阪に着くころには、自殺をする気持ちは無くなっていました。裸一貫でもう一度、ゼロからスタートする勇気をこの物語からもらったのでした。

 

それから数年間、大阪で死に物狂いで働いた男性は、借金を全額返済しました。そしてこの作家の新刊発売を祝う言葉の後には、“借金を返済して、小さいながらも自社ビルを建てた”と書いてあったのです。ファンレターには、生きる勇気を与えてくれたこの作家への感謝の言葉が溢れていました。

 

一方、当時この作家は別の人間からも手紙を送られていました。担当編集者から受け取ったその封筒は、不自然に膨らんでいました。恐る恐る中を開けると、そこには爪がいくつか入っていました。そして乱暴な文字で手紙が書かれていました。

“お前のような人間が偉そうに人生を語るから、世の中は良くならない。俺の爪を送るから煎じて飲め”

と、手紙にはそう書かれていたのです。これは大阪で人生を立て直した男性が読んだ本と、同じ本を読んだ人の感想だったのです。同じ本を読んでも受け手の気持ちによってこれだけ受け止め方は大きく変わるのです。作家はこの話の後に私にこう話しました。

「私は表現者であり、発信者ですが、私が何を発信するのかではなく、結局は受け手がどう受け止めるのかで、私の書いた作品の意味は決まるのです」(2)へ続く。