先日、お子さんの大学受験の相談を受けました。お母さんは予備校の資料や週刊誌の記事を持参して私に会いに来ました。この方のご主人が早稲田大学出身ということで、息子さんを何としても早稲田大学へ入れたいというのです。今は大学の入学試験もさまざまな判定方式があります。その中でどの方式で入試に臨み、どの学部や学科を選ぶことが息子さんにとって有利なのかを私に選んでほしいというのです。早稲田大学は大きな大学ですから、付属の高校もあれば、その系属校として中等部や初等部もあります。この息子さんは、もちろん初等部から付属高校まで受験してきました。しかし、残念ながら、いずれも入試を突破することができずに、早稲田大学の系属校に入学することはできませんでした。そこで最後のチャンスとなった大学受験では、何としても早稲田大学に入学したいと親子ともに意気込んでいたのです。

 

私はこの話を聞いた時に、この親子の未来に良いイメージを持つことができませんでした。どのように説明しようかと一瞬、顔を曇らせた私の様子を見たお母さんは、

「シュンさん、もし息子が早稲田へ入ることができないなら、はっきり言ってください。入試のチャンスは1回だけではありませんから、親としては息子の希望が叶うまで、何度でもチャレンジさせるつもりでいます。それでも息子にその未来が無いのなら、別の道を選ばせるしかありません」

そう言って私を見つめました。

 

私はこの方に言いました。

「いいえ、早稲田大学に合格できる未来が感じられないわけではないのです。率直に申し上げて、浪人生活はすることになりますが、早稲田大学の入試を突破することはできると感じます」

私の言葉を聞いて、お母さんの表情は一気に明るくなりました。ただ、私はお母さんの笑顔を打ち消すように話を続けました。

 

「しかし、息子さんが希望する早稲田大学に合格したことが、却って人生を遠回りすることになるように私は感じてしまうのです」

お母さんはすぐに私に尋ねました。

「それはいったいどういうことなのでしょうか」

 

そもそも大学に行こうとする目的は何なのでしょうか。それは言うまでもなく、高校時代よりももっと深くその分野の勉強をしていくことです。日本の大学は海外の大学と比べた時に、“入るのは難しいけど、出るのは簡単だ”とよく言われます。確かに海外の先生のようにテストや提出物の数字のみで、客観的に成績評価する先生は日本の場合少ないかもしれません。そこには日本人特有の情や忖度なども働きますから、単位を認められる成績でなくても、追試験や授業態度などを加点材料として下駄をはかせてくれる教授もいます。もし、自分が必修科目の単位を与えなかったことで、その学生が大学を卒業できずに、中退してしまったとすれば、何か悪いことをしたような気持になる先生もいるでしょう。

 

しかし、自分の専攻科目の勉強を怠っていても、それでも卒業できるほど大学は甘くはありません。そして専門分野の勉強に集中力を持って積極的に取り組んでいくためには、その分野に対して興味を持っていることが前提になります。自分が好きでもなく興味もない勉強を4年間も継続することは苦痛以外の何ものでもないからです。

 

この息子さんは早稲田大学のほとんど全学部を受験する気持ちでいます。しかも自分が大学に入って学びたい学部ではなく、入試を突破できそうな難易度の低い学部を選ぼうとしています。それは大学入試を見据えた選択ですが、本当に大切なのは大学に入った後の4年間です。この4年間を充実した時間にして、自分の将来へつなげる土台を作る時間にできれば、そのあとの就職で自分に合った生涯の仕事を見つけることにつながります。私はこの息子さんが浪人した後に、早稲田大学に合格は果たしたものの、自分には全く興味のない学部に入る未来を感じたのです。そして2年間大学へ通ったものの、成績は伸びず、単位も取れず、やがて勉強の意欲を失って大学へも通わなくなります。そして大学を中退して、もう一度、原点に戻って何を勉強したらよいのか暗中模索している未来が見えてしまったのです。(2)へ続く。