霊の世界では今、ここにあるはずのないものやいるはずのない人がいるようなことがしばしばあります。今までにこのブログの中でもそういったケースはたくさん紹介してきました。
私が予備校の講師時代に夏休みの合宿の下見で行ったスキー場の裏山で、背丈ほどもある木々に囲われて道に迷ってしまったことがありました。そのときは暗闇で完全に方向を見失った中で、山頂方向に列になって続いている灯りを見つけました。そしてその灯りを目指して登ることで山の尾根を越えて、スキー場に抜けました。しかし、ホテルに戻ってその話をすると、山頂付近にそのような光源は何一つないと言われたのです。
車で山の中の国道を走っているときに、気づかないうちに国道を外れて山の中の狭い道に入り込んでしまったことがありました。かなり先まで進んだものの、道はどんどん狭くなって、とうとう車幅ギリギリになりました。バックで戻ることも難しくて困っているときに、前方からヘッドライトの明かりが近づいてきました。そして近くの比較的道幅が広くなった場所でその車とすれ違いました。私は“前方から車が入ってきたということは、広い道へ抜けられる”と考えて狭い山道を慎重に前進しました。そして思った通りに国道に抜けて無事に帰宅することができました。しかし、帰宅後に地図で確認するとその場所に国道以外の抜け道はありません。後日、気になって昼間にその場所を尋ねましたが、やはり国道以外の道は見つかりませんでした。
最終バスのことを“赤バス”と呼ぶことがあります。それは車の前方にある、行く先を示した“方向幕”に赤い電灯がついているからです。薄暗い夜の闇に映る赤いライトは何とも不気味で好きになれません。しかも深夜バスの走らない地方都市で、深夜2時過ぎに赤い方向幕を光らせて終バスが走っているのです。思わず不思議に思ってバスを見つめると、窓から見える車内には乗客も数人座っています。乗客は皆、黙って前だけを見つめています。しかし、乗客からは生きている人間のエネルギーはまったく感じません。このバスは生に執着して死んでも現世にとどまっている乗客を乗せて、深夜の町をずっと走り続けているのです。
粗大ごみを車で遠くまで運んで不法投棄した人がいました。確かに深夜、車でかなり離れた場所まで運んで捨てたのに、翌日、自分の住むマンションの玄関前にそれが置いてあったという人がいました。
友人に貸したゲームソフトが貸したまま何年間も返却されずに時間が経ってしまいました。今更「返してほしい」とも言いずらくて、そのままになっていました。しかし、ある日突然、貸したゲームソフトが家のポストに入っていました。しかし、“ありがとう”とか“遅れてすまない”のメーッセージは一言もありません。そこで気になって友人が住んでいる実家に連絡すると、もう2年以上も前に友人は事故で亡くなっていたのです。もちろん、貸したゲームソフトのことは、友人の家族は誰も知りませんでした。
温泉に入るために山の中の旅館に泊まったところ、深夜に踏み切り音がうるさくて眠れませんでした。翌日、そのことを旅館の主人に話すと、うんざりしたように、
「ときどき、そう言われる方がいるのですが、昔通っていた電車はもう20年以上も前に廃線になっていますから、踏切の音がするわけはありません」
と答えたのでした。
“パラレルワールド”という言葉があります。それは今、私たちが生きている世界と並行して存在する“並行世界”“並行時空”のことです。この世界は私たちの宇宙と同じ次元に存在している可能性があると理論物理学の世界では語られています。人は時間や空間の座標軸がたまたま合ってしまったときに、この世と並行する世界へ迷い込んでしまうことがあるのです。