京都市北区上加茂狭間町に“深泥池”と呼ばれる池があります。ここは池と湿地からなる地形で、氷河期から存在する日本最古の池と言われています。昭和63年2月4日付で正式名称は「深泥池生物群集」とされました。つまりここは本来ならば、水生の植物や生物の観察などに市民や学生が訪れる場所なのです。
京都市の郊外にあって、すぐ東側には宝ヶ池公園があります。宝ヶ池は江戸時代の宝暦年間に農業用のため池として作られました。今は池の周囲が整備されて四季の花々を観察できるように設計されています。ここでバードウォッチングやジョギングなどを楽しむ人も多く市民の憩いの場になっています。
私は若い頃に会社員をしていたころに、宝ヶ池公園の隣にある京都国際会館に、会議や研修のために何度も訪れています。そして休憩時間には国際会館の隣にある宝ヶ池まで歩いて、一息ついた記憶があります。自然豊かで景色も美しく私には良い印象しかありません。しかし、その西側にある“深泥池”は、ネットで検索すると、「京都最強の心霊スポット」とか「深泥池の幽霊騒動」などと表示されて、心霊スポットとして有名になっていました。グーグルで検索した画像を見ると、確かに土地の波動は低く、池の周囲に賑わいはありません。深夜に通りかかれば、野生の動物が動いただけでも、ドキッとして恐怖を感じるかもしれません。また、深泥池の名前も良い印象は持ちません。
この池が心霊スポットと呼ばれるようになったのには、明確な理由があります。それは昭和44年10月7日の朝日新聞の記事や週刊誌の報道で、タクシー運転手が体験したという“消えた女の事件”が、またたく間に拡散したからです。タクシーで体験した心霊話は世にさまざまにありますが、この話はタクシーの怪談の元祖とも言われています。
この事件の概要は取り上げたマスコミによって若干の違いはありますが、概ね次の通りです。まず、昭和44年10月6日の深夜に京大病院前でタクシーの運転手が40歳前後の女性を乗せました。その女性の髪の毛は長く濡れていたそうです。そして行く先を「深泥池」と告げたのです。女性は無言のままタクシーに乗っていました。運転手は深泥池に近づいたため、後ろの座席を振り返ると女性は消えていたのです。誰もいない後ろの座席はびっしょりと濡れていて、長い髪の毛が残されていました。運転手は途中で女性を落としてしまったのではないかと思い、交番へ駆け込みました。そして警察が付近を捜索しましたが、女性は発見されませんでした。そして後で分かったのは、この夜に京大病院では同じ年頃の女性が亡くなっていたということと、その女性が深泥池の近くに住んでいたということでした。
当時、この話はマスコミが大きく取り上げ、運転手が駆け込んだ交番の警官のコメントを掲載した週刊誌もありました。警察まで動いた事件ですので、それだけ信憑性が高いと思われた節があります。そして京大病院で亡くなった女性が自宅へ帰るためにタクシーを拾ったというのも話はつながります。そのためこの話は一気に拡散したのでしょう。
しかし、先ほども述べた通り、私はこの辺りの土地は分かりますが、特に霊的に問題のある場所ではありません。単に土地の波動が低いだけです。また、ネットに載っていた深泥池の画像やグーグルの画像を何枚も確認しました。しかし、不浄霊がとどまっているような痕跡は何も感じませんでした。つまり、この話は何かの錯誤などによって無責任に広がっただけで、心霊的な問題は何も関係していいません。世間に広く心霊スポットとして広まっている場所でも、実態としては何ら問題のない場所もたくさんあるのです。