以前、私に相談した男性は、若い頃に遊泳禁止の海岸で泳いでいたところ、離岸流に流されて溺れた経験がありました。時間は夜間で、しかも洋服を着て海岸を泳いでいるうちに沖合へ流されました。そのため、上着もズボンもずぶ濡れの状態で人気のない真っ暗な海へ引き込まれました。その日の海は荒れていて、ひと波かぶるごとに海中に引き込まれます。必死で海面まで浮上して何とか呼吸をするとすぐに次の波が押し寄せてきます。そしてまた海中に引き込まれるのです。それを繰り返しながら体は離岸流で沖へ沖へと流れていくのです。海面に上がった時に海岸線を見上げると、さっきまで近くに見えていた海岸線の街灯は、はるか遠くで灯りを照らしていました。

「海で溺死していく人は、きっとこんな景色を見ながら、やがて意識が遠のいて、体力は限界になって死んでいくのだろう」

と、そんなことばかりを考えていました。

 

そのときです。頭に突然、若い女性の顔が浮かびました。今まで見たこともない女性でした。そしてとてもかわいらしい声でその男性に語りかけてきました。

「こっちへ来て!手足を動かして!早く!早く!」

笑顔で語りかけてくる女性の顔を見て、男性は息を吹き返しました。“もう、ダメだ”と思い、死ぬことしか考えられなかったのに、“意識が続く限りは頑張り続けなくてはいけない”と考えられるようになりました。そしてがむしゃらに手足を動かして、岸へ向かって泳ぎ始めたのです。頭に浮かんでいる女性は男性の目の前で手招きをしながら話し続け、泳ぎをサポートしてくれました。

 

私も若い頃に鎌倉の海岸で離岸流に流されて死にかけたことがありました。しかし、その時は一瞬、離岸流の流れが変わり、サーファーのサーフボードに捕まって一気に岸へ辿り着いて九死に一生を得ました。この男性にも同じように奇跡が起こりました。

 

男性がふと我に返って、海岸を見つめると、沖合にいてさらに沖へ流されていた体は、岸のわずか手前まで戻っていたのです。そしてこの男性は奇跡的に自力で海岸までたどり着きました。そして、これから2年後に次の奇跡が起こりました。

 

この男性の仕事が忙しくなり、人手が足りなくなったために派遣会社に派遣社員を数名依頼しました。その中に忘れもしないこの時に命を救ってくれた女性が入っていたのです。そしてこの女性の特徴のある声も話し方も、ずっと頭に刻まれていたあの時の女性のものだったのです。この男性が懐かしそうにこの女性を見つめると、女性は不思議そうに笑顔で男性に尋ねました。

「何か私の顔に付いていますか?」

もちろん彼女は、溺れて死にかけている男性を救ったことなど全く記憶にありません。

 

この男性はこのとき、今、目の前にいる女性はいずれ結婚して妻になる女性だと確信しました。私はこの男性に尋ねました。

「もう、結婚して30年ですか。ご夫婦の関係はいかがですか?」

すると少し照れくさそうに男性は答えました。

「彼女は私の命を救ってくれた大恩人です。私の人生は、今も彼女によって助けられていると毎日感じています。そんな幸運の女神を離すわけありません。生涯、彼女を大切にして生きていきます」

「それが良いと思います。どうぞいつまでもお幸せに」

私は強いご縁で結ばれたこのご夫婦が、これからも別れることなく生涯の伴侶になることを感じて彼と別れました。(3)へ続く。