以前、このブログで一般人の平均的な歩行速度、時速約4キロで毎日移動している霊のことを書きました。この不浄霊は神奈川県の小田原あたりから、国道1号線を歩いて東京都の鈴ヶ森刑場址まで進んでいきました。

 

以前、高崎市で怪現象が起きているお宅へ伺ったことがあります。この家ではご先祖にまつわる因縁があり、浄霊を行ってそれを祓いました。しかし、ご自宅の敷地には霊道がかかっていてその影響も受けていました。それは太平洋戦争末期に南方のパラオやペリリュー島で戦っていた陸軍歩兵第15連隊の兵士たちでした。南方の戦闘で命を落とした兵士たちが、連隊本部のある高崎を目指して隊列を組んで行軍していました。死んで何十年も経っているのに、まだ魂は報われずに故郷を目指して歩き続けているのです。

 

峠道でバイクで飛ばして事故死したライダーがいます。首がガードレールの角にぶつかって、ナイフのように切断されて亡くなりました。それからその峠では深夜に首のないライダーが走っているという噂が広がりました。私は国道20号線や箱根の峠道を車で走行中に、血まみれのライダーが運転しているオートバイに付きまとわれたことがあります。どれだけスピードを出しても急カーブをタイヤを滑らせながら回っても、運転席の真横にピッタリと並んでどこまでもくっついてきます。ハンドルを握りながら、大声でマントラを唱え続けて峠を下り、町の明かりが見えてきて、ようやく霧のように消えていきました。

 

霊は土地の因縁や先祖の因縁によってのみ、現世にとどまっているわけではありません。深い悲しみや怒りや憎しみなど、強いネガティブな要素があると、その重さゆえにあの世へ上がることができずに現世にとどまります。現世にとどまっている魂は、自分の思いを遂げるために移動することがよくあるのです。

 

本来、霊は瞬間移動することができますから、歩いたりオートバイに乗って移動する必要はありません。たとえば私が福岡県に住んでいる人と電話で話をしているときに、福岡の方に憑いている不浄霊が電話中に私の隣までやってくることは良くあります。しかし、何かの理由によって、霊がわざわざ歩いたり、交通機関に乗って移動することもあるのです。

 

その時の理由で多いのは“生きていた時の記憶(思い出)”です。たとえば小田原で罪を犯して役人に捕らえられた罪人が、唐丸籠(=江戸時代に死罪になるような重罪を侵した罪人を見せしめのために周囲から見える状態で護送した籠)に載せられて鈴ヶ森刑場へ運ばれて死罪になったとします。すると罪人が生きていた時に最後に見た景色は東海道の街並みになります。そのため自分の生きていた時間を振り返る時に、わざわざ東海道を歩いて移動することになるのです。

 

あとは土地ではなくて人に憑こうとする時には、その対象者が移動していれば、不浄霊も移動しながらどこまでも付いてきます。不浄霊は本来は、瞬間移動でもできますから、そのとき私が時速何百キロで移動しても霊は付いてきます。私がさまざまな霊にしばしば付きまとわれてきたことは、このブログの中でも何度も取り上げてきました。たとえば私が新幹線で移動中にふと気配を感じて窓の外を見た時、血の気のない真っ白な顔色をした女性の霊が窓の外からこちらを睨んでいるときがありました。羽田から地方へ飛行機で移動中に何気なく窓の外を眺めた時、窓の外からこちらを凝視している老人と目が合いました。新幹線は時速280キロ、ジェット旅客機は時速約900キロで移動しています。それでも霊はいとも簡単に窓の外から私を追いかけてくるのです。家や土地といった限られた場所に長く取り憑く霊もいますが、高速で移動し続ける霊も数多く存在しているのです。