国道161号線は福井県敦賀市から滋賀県大津市に至る総延長108・6キロの一般国道です。このほとんどの区間はJR湖西線と並走して、琵琶湖の西岸を走ります。琵琶湖の真横を走る区間が各所にあって景色は絶景です。バイパスや道の駅も整備されているため、ドライブコースとしても人気があります。ただ、高島市マキノ町から南の大津市坂本までの約62キロは、整備はされているものの片側一車線通行が多く、事故の多発区間として有名です。2009年から2019年までの10年間でなんと14人もの人が事故で亡くなっているのです。

 

私は以前、「魔の片側1車線」と題された京都新聞の記事を読んで、この事故多発区間を知りました。その新聞記事には大型トラックと正面衝突して、車の前部が完全に破壊されて、運転席までつぶれた事故車が写っていました。私はこのようなニュースを見ることは本当に好きではありません。しかし、たまたま事故車の写真を見た時に、明らかに霊的なものの匂い(気配)を感じました。

 

事故の原因について、記事の中では「居眠り運転やわき見運転によって、対向車線へはみ出したこと」と、書かれていました。滋賀県警交通企画課は「161号線の同区間は、自動車専用区間や高架区間が長く、単調な道が続くために、ドライバーの集中力が続きにくく、居眠りや脇見などが起こりやすい」とコメントしています。しかし、まっすぐに続く直線区間の長いこの道で、対向車が来るタイミングで、反対車線へ飛び出す事故がこれほど多いことに、私は違和感を感じてしまうのです。そして、地図をチェックして、グーグルの画像を確認すると、やはりこの道路の中に危険なポイントを感じてしまいました。

 

琵琶湖を南北に見た時に、西岸のちょうど中間あたりにJR湖西線の「近江高島駅」があります。この駅から琵琶湖西岸まではわずか400mぐらいです。この駅から東南方向へ300mぐらい進んだところに「乙女ヶ池」と呼ばれている琵琶湖の内湖があります。国道161号線は乙女ヶ池と琵琶湖の間のわずか100mの隙間をぬって通っているのです。そして、この湖は764年に孝謙上皇と対立してクーデターを起こした「藤原仲麻呂の乱」の古戦場であり、戦に敗れた藤原仲麻呂が処刑された場所なのです。

 

藤原仲麻呂は、藤原不比等の長男で、藤原氏出身の叔母に当たる「光明皇太后」とともに政治の実権を握っていました。仲麻呂は政敵との争いに勝って、760年に太政大臣に上り詰めます。しかし、この年の6月に後ろ盾だった光明皇太后が亡くなると、孝謙上皇は、祈祷僧「道鏡」をそばに置いて寵愛するようになります。そして孝謙上皇は、仲麻呂が推薦した淳仁天皇から政治上の決裁権を取り上げようとして、「孝謙上皇・道鏡」対「藤原仲麻呂・淳仁天皇」の間で対立が深まり、藤原仲麻呂がクーデターを起こしたのです。

 

クーデターが発生すると、孝謙上皇は、いち早く駅鈴(律令制で駅馬を使う時に必要な鈴)と淳仁天皇の御璽(天皇の印鑑)を奪い、仲麻呂の官位を剥奪しました。権力を失った藤原仲麻呂は、平城京(奈良)を脱出して、息子の「藤原辛加知」が国守を務める越前国(福井県)へ向かおうとして、琵琶湖の西岸を北上します。しかし、朝廷の軍勢は先回りして辛加知を殺害した後、仲麻呂の行く手を阻みます。仲麻呂の軍勢は退却を余儀なくされて、乙女ヶ池の辺りまで戻って、ここから船で湖上へ脱出しようと試みます。ここで最後の戦いに敗れた藤原仲麻呂はこの地で34名の一族郎党とともに処刑されたのです。つまり、平城京を脱出した藤原仲麻呂が越前国へ逃れようと敗走を続けて処刑されたルートは、まさに琵琶湖西岸の国道161号線に当たるのです。

 

私から見ると、この国道でドライバーが思わず脇見をして見ていたものは、琵琶湖の美しい景色だけではなかったように思います。今から1300年前の魂が元凶でなくても、こういった場所には現世に残るさまざまな不浄霊を呼び込んでしまうからです。