若い方や年齢を重ねた方でも必死に夢を追いかけている人がいます。その中の何%の人は、自分の夢を叶えて今は幸せな毎日を送っているでしょう。また、夢を叶えることができなかった人でも、真剣に夢に向かってチャレンジした時間は、今の自分の大きな財産になっているでしょう。そこにチャレンジすることを私は決して否定しません。しかし、チャレンジは必ず成功するとは限りません。もし、チャレンジに失敗して夢を叶えることができなかったとしても、そこで自分の人生を終わらせることはできません。夢に破れたとしても、私たちはこの先もこの世界で現実に生きていかなければならないのです。

 

年齢を重ねて生活の基盤を築いてから夢にチャレンジするなら良いのです。夢破れたとしても、生活の基盤ができているなら、毎日の暮らしに困窮することはありません。しかし、生活の基盤もなく、夢にすべてを賭けるようなチャレンジをするなら、夢に挑戦する時点で上手く行かなかったときの線引きも同時に決めておかなければなりません。もし、夢が叶わなかった時に、いつどんなタイミングでどのように軌道修正していくのか。それは夢が叶わなくなってから線を引こうとしても、夢に執着したり、諦めきれなくなってしまい、線を引くタイミングを逃してしまうからです。

 

私の学生時代の同級生には、夢に挑戦し続けてそれを叶えることができずに、人生を台無しにしてしまった人が何人かいます。彼らは優秀な頭脳を持っていながら、所帯を持つことはおろか、社会に出ることさえできずに、今は抜け殻のような人生を送っています。

 

“司法試験”という、国家試験の中でも最難関の一つに数えられる資格試験があります。弁護士や検事、裁判官を目指す人が受ける試験です。この試験は今は、法科大学院を卒業してから受験する方法と、予備試験を合格してから受験する方法の2つのパターンで受験します。大学の法学部卒業者は、法科大学院で2年間勉強して、司法試験の受験資格を得ます。法学部を卒業していない学卒者は、法科大学院で3年間勉強してから受験資格を得ます。しかし、予備試験から司法試験を目指すとき、そこに年齢や学歴、国籍も関係ありません。予備試験は誰でも何歳でも受験することができます。それは司法試験制度が変わる前の昔も同じです。司法試験という試験は受験資格を制限しない広く開かれた試験なのです。ただ、そこに落とし穴があるのです。

 

たとえば歌手や俳優を夢見てチャレンジを続けている人がいます。今はタレントの低年齢化が進んでいますから、早い人は中学に入る前から、オーディションにチャレンジします。そして何度、不合格になってもあきらめずにオーディションに挑戦し続けたとします。しかし、オーディションには年齢制限がありますから、5年も10年も不合格が続けば、いずれはチャレンジすること自体ができなくなります。しかし、司法試験の受験資格には年齢制限がありません。ですから昔は、大学を卒業して30歳になっても40歳になっても司法試験浪人を続けている人がいました。その結果、就職することもできずに、今更諦めることもできずに泥沼のように、ただ受からない司法試験に挑戦するだけの人生を送ってしまった人が何人もいたのです。

 

今はこのような状況を鑑みて、法科大学院卒業者も予備試験合格者もその後、5年以内に5回までしか司法試験にはチャレンジできないように制度自体が変わりました。それはチャレンジする人の人生を台無しにしないためのセーフティーネットのようなものです。しかし、昔の司法試験制度のように、自分自身で決断しない限り、いつまでも夢を追い続けることが可能なものもたくさんあります。

 

私はチャレンジスピリットを持って生きている人は大好きです。おのずと応援したい気持ちになりますし、自分も励まされます。だからこそ、チャレンジに失敗したとしても、人生を台無しにしてほしくないのです。何よりも今を生きている自分の人生を大切にしていただきたいのです。