自分の思いの残るものを何回捨てても必ず手元に戻ってきてしまうということは時々起こります。たとえば子供のころにいつも抱いて寝ていた人形がいます。ずっと大切にしていたのですが、ある日、寝ていた時にこの人形が動いていたのを目撃してしまいます。朝、起きて見直してみると、人形のいる場所が、確かに微妙にずれているのです。

 

そんなことがあってから、急に怖くなってこの人形を避けるようになります。そうすると今度は人形が自分を攻撃してきます。心変わりをした自分を責めるように、ただ動くだけではなく、深夜に自分を襲ってくるのです。そこでこの人形をゴミ置き場に捨てるのですが、気が付くと自分の部屋に置かれているのです。気味が悪くなって人形を箱に入れて、ふたが開かないようにガムテープを何重にも巻いて捨てたのです。それでも人形はまた自分の部屋に置かれています。そしてついには自ら焼却炉へ入れて人形を処分したという方がいました。

 

自分の思いの残るものには自分の念が入り込みます。念のこもったものは眠っていたものが息を吹き返すように、意思を持って動き出します。よく日本人形の髪の毛が伸びたとか、人形が涙を流したという話を聞きます。これは当たり前の自然現象として起こることもありますが、その何割かは人形に込められた念(=思い)が作用しています。

 

私が相談を受けた中では、庭に置かれた非常に因縁深い石が何回捨てても庭に戻ってきてしまい、最後は私がお預かりして処分したことがありました。こういったケースは過去に何度もありました。石の場合、そしてその共通点は、“川で拾った石”であることです。

 

前にもこのブログで触れましたが、川は昔の合戦場であるとか、首がさらされた場所であるとか、溺れて命を落とすなど、さまざまな因縁が起こりやすい場所なのです。丸に横線の入ったデザインは“丸に二引両”とか“丸に三引両”など、多くの武将が家紋にしてきたものです。私は強い霊障を受けている家で、その家の庭や家の中に、真っ黒の石の中に真っ白な横線が土星のリングのように入っている石を何度か見たことがあります。これはこの家紋を旗印にして戦って命を落とした武士の無念の思いが込められています。川原で戦ったり、川原まで生き延びてきたものの、最期はこの石を握りしめて亡くなりました。このような石が家の中にあって、家が栄えるわけがありません。

 

私からこのことを指摘された方はもちろん、すぐにその石を元の川へ捨てに行きました。しかし、しばらくするとその石が庭に戻っているのです。子供を問い詰めると、子供が川から拾ってきて庭に置いていました。そこで今度は強く子供を叱ってから、遠く離れた町へ車で向かい、誰も知らない川の水の中へ放り込んで帰ってきました。しかし、何日かすると同じ石が庭にまた置かれていたのです。ここまできて、この方は自分で処分することをあきらめて私にこの石を預けました。私はこの石にこもっている念を抜いてから川原に置いてきました。

 

今の自分にとって必要のないものを人は簡単に捨ててしまいます。それは今の生活を継続していく上で必要なことなのかもしれません。ただ、因縁因果があるものや念のこもっているものなどは、そのことを踏まえて、それを抜いてから処分しないとあなたが手放したくても決して離れてくれないこともあります。