先日、読んだ本に、台湾へ旅行へ行ってスリに遭われた人の話が書いてありました。コロナに世界中が警戒している今のことではありません。このウイルスが広がりを見せる前のことですので、台北のショッピングセンターはかなりの人で賑わっていました。混雑の中で買い物をしていたこの人は、上着のポケットに入れていたお財布が、気が付くと無くなっていたというのです。現金やカードも入っていたため、慌てて台北の警察署へ行って、被害届を出しました。

 

そのとき台湾語を理解できるこの人は警察署の中に貼ってあった大きな標語が目に留まりました。私は台湾語は理解できませんので、その言葉は覚えていないのですが、そこには日本語にすると次のような標語が書いてあったのです。

“必要なのは現状を成功へ導く方法を探すこと。失敗の理由を探すことは不要”

 

この方によると、そのときはスリの被害に遭って自分自身、どうしてスリに遭ってしまったのか、カードが使われていたらどうしようかと、まさに今、自分に起きたことをぐじぐじと悩んでいたそうです。さらには台湾に旅行へ行かなければ良かったと、知らない国で一文無しになってしまった情けない自分を責めていたのです。

 

今までもこのブログで何度も触れてきましたが、自分に起こった出来事は、それ自体に良し悪しがあるわけではありません。その出来事をこれからどう咀嚼して展開していくかによって自分にとって良い出来事にも悪い出来事にも変えることができるのです。この方もこの標語を見たことで気持ちが切り替わり、

“必要なことはスリに遭ったというこの嫌な体験を、後になって良かったと自分が思えるようにするには、どう行動したらよいのか”と考えました。自分自身の体験を通してこのことに改めて気づかされたと述べているのです。

 

スリに遭ったおかげでこの標語に出会うことができて、それによって前向きな生き方や考え方を実感することができたというのです。もっと言えば、幸せに生きていく道を探していた自分の思いがスリに伝わって、スリに財布を盗んでもらったのではないか。そのことによって失った現金以上の大切なものを得ることができたとも語っているのです。

 

“逆縁の仏”という言葉があります。たとえば自分が会社で小さな不正を働いていたとします。そのことを気づいた同僚はそれをすぐに上司に報告しました。そのことによって会社をクビになった人は、言いつけた同僚を恨みました。しかし、もし同僚が上司に報告していなければ、小さな不正はやがて大きな不正となって刑事事件に発展していたかもしれません。そうなれば人生取り返しのつかないことになっていたかもしれません。

 

仕事に厳しすぎていつも自分を責めてばかりいる課長がいました。どうやってもこの課長と上手くやっていくことができなくて、好きだった会社を退職に追い込まれました。この人はもちろん自分を退社させた課長を恨みました。しかし、次に転職すると今までよりも良い人間関係に出会い、仕事も評価されて収入も以前より増えたのです。もし、課長がいなければ、この素晴らしい会社や人間関係に出会うことはなかったのです。このときに上司に報告した同僚や仕事に厳しい課長のことを“逆縁の仏”あるいは“逆縁の菩薩”と呼びます。広義では

本当の菩薩に出会うためには、一度悪化した状況に陥ることがあるという意味にもなります。

 

皆さんもこういった経験はあると思います。もし今、何かのトラブルにつまずいていたとしても、それに悩んで落ち込まないでください。今こそ自分が試されていると思って、逆転のために実験を開始してみてください。