一緒に暮らしていても喧嘩ばかりで、現在、別居中で調停を行っている状況にあっても、私はこの夫婦の心の底にお互いに対する愛情を感じていたのです。奥さんにしても、如何に経済的な豊かさを重視すると言っても、愛情のかけらもない男性と一緒に暮らしてくことはできません。ご主人にしても、本当に離婚を望んでいるのなら、離婚へ向けた条件提示を具体的にしてこないのは不可解です。

 

本気で離婚を望んでいるのなら、財産分与や親権や養育費や子供との面会など、取り決めていかなければならない問題はたくさんあります。ですからそれらをどうしていくのか、具体的なアクションが取られていくことになります。そういった行動がまったく無い中で、ただ調停や離婚を声高に叫んでいるこの夫の幼児性がこの問題をこじらせています。しかし、夫婦生活を継続していく上で、もっとも重要な“愛情”が残っているのなら、一時の感情や面子にこだわって離婚へ進むことはナンセンスです。

 

私はよく“コミュニケーションは文字や言葉ではなく、気持ちのキャッチボールだ”と話しています。これを裏返すと、“文字や言葉は必ずしも本心を語るものではない”ということになります。

 

特に感情がもつれた時、人は自分の本心とかけ離れた言動をしばしば取ります。本当は愛している人や大切な人に、暴力をふるったり罵倒して傷つけることがあります。冷静に考えれば自分でもよくわかっていることでも、感情の波が立ってしまうと自分を抑えることができなくなります。如何に本当は愛しているとしても、それが暴力まで発展しては言い訳にはなりません。それはお互いの問題を越えた“犯罪行為”だからです。

 

そこまでひどいケースでなくても、自分の本心を素直に伝えられなくて、結果として後悔してしまうことも良くあります。逆に相手の言動の裏にある本心を感じ取れなくて、チャンスを逃したり遠回りしてしまうこともあります。大人は自分の立場や面子にこだわります。また、感情的な問題になれば、自ら意地を張ってがんじがらめに自分を縛ることもあります。その結果、引くに引けなくなって幸せを逃してしまう人たちを私も数多く見てきました。本来なら長くつながっていける二人が、こんなことで別れてしまうことは実に残念でなりません。

 

人間関係を考える上では、常に“行間を読む”ことが大切です。これは愛情の問題でも友情の問題でも、家族の問題でも仕事上の問題でもすべての人間関係に言えることです。相手の言動の裏にあるその人の本音を感じ取ってください。

 

お互いに愛情があっても本音を感じ取ることができずに、すれ違ってしまうこともあります。逆に表面の言動に惑わされて、打算や二心のある人間に騙されてしまうこともあります。

「馬鹿野郎!」

と怒鳴られれば誰でも腹が立ちます。ただ、その言葉の裏にある深い愛情を感じ取れれば、この言葉で心が動くこともあるのです。