人の強い思いは物にも場所にも宿ります。特に生死にかかわるような大きな問題では、その思いが百年以上もそこにとどまり、そこを訪れる人にネガティブな影響を与えることもあるのです。
以前、千葉県勝浦市で出張鑑定をした後、外房の海沿いを走る国道128号線で館山市へ向かっていました。この道路はまさに海の隣を走る気持ちの良い国道です。天気も晴れた午後、私はキラキラと輝く波間を眺めながら、快適に車を進めていました。
しかし、車が勝浦から鴨川あたりに差し掛かった時に、ものすごく嫌な空気に包まれました。晴れているのに辺りは薄暗く、空気も重たく感じました。これはこの付近に何か心霊スポットのような問題のある場所があることは明らかでした。私は思わず、声に出してマントラを唱えながら、速度を上げて一気にこの場所を通り過ぎました。下手に車を止めてしまっては、この悪い空気に飲み込まれてしまいそうで、恐怖さえ感じていたのです。海沿いの道を速度を上げながら5分も走ると、空気はまた元の気持ちの良い状態に戻りました。私は思わず、ホッとして車を左に寄せて止めました。それからいつもよりも注意しながら車を運転して東京まで戻りました。
家に帰ってもあの嫌な空気感が残っていました。私に何か霊的なものが取り憑いているわけではありません。しかし、鴨川周辺に、いったいどんな因縁因果があるのか、運転中もずっと気になっていました。そこですぐにパソコンを開いて状況を調べました。答えはすぐに見つかりました。それも相当に根の深い忌まわしい過去です。私が嫌な感じを受けた辺りは“おせんころがし”と呼ばれているエリアだったのです。
このあたりは高さ20m以上の断崖絶壁が約4キロも続いています。“おせんころがし”という奇妙な名前は、お仙という美しい娘の悲話に由来しています。昔、この辺りは“古仙家”という一族が領主として治めていました。お仙は、領主の一人娘で、何不自由なく育てられていました。しかし、父親の領主はとても強欲で、領民に重い年貢を課しては厳しく取り立てていたのです。とても賢かったお仙は、領民の窮状を知ると、13歳にして父親に意見しました。
「領民の窮状を見れば、自分が華美で贅沢な暮らしは出来ない」
と父親を諭したのです。
そしてお仙が18歳の時には、久しぶりに村は豊作に恵まれました。喜んでいる村人を前に、領主は
「今年は豊作になったのだからその分、多く年貢を納めるように」
と、お仙の反対を押し切ってさらに大きな負担を課したのでした。
秋祭りの夜、酒に酔った村の若者たちの怒りが爆発しました。若者たちは領主の家を襲い、領主を有無を言わさず“簀巻き”にして、海沿いの崖の上から海へ突き落したのです。そして翌朝、領主の遺体を確認するために、浜へ降りて見ると、そこには父親の着物を着たお仙の亡骸が倒れていたのです。お仙は父親のために自ら身代わりになったのです。
村の若者たちは、自分たちの暴挙を悔やみ、泣き喚きました。それは暴君であった領主の父親も同じでした。その後、お仙が投げ捨てられた崖は、“おせんころがし”と呼ばれるようになり、崖の上には村人の手によって“孝女お仙供養塔”が建てられました。
お仙の悲話はこの他にいくつも残されています。病弱な父親を助ける美しいお仙に惚れ込んだ悪代官が、お仙を自分の妾にしようとして父親に大金を渡しました。しかし、父親がこれを拒絶したところ、父親は配下の役人に捕まり、簀巻きにされて崖の上に運ばれます。お仙は父親を助けるために、役人の目を盗んで父親の身代わりになり、崖から投げ捨てられて亡くなったという話などです。実際に今でも崖の上にはお仙の供養塔が建てられています。それを見ると、これらの話もあながち根拠のないものではないように思います。ただ、“おせんころがし”の恐怖は、この逸話だけでなく、凄惨な事件となって現実に引き起こされることになるのです。(2)へ続く。