先日、知り合いの葬儀があって斎場へ行きました。そこは大きな斎場で、ロビーから廊下を歩く中で祭壇の置かれた広間がいくつも並んでいました。その中で広間の扉が開いている部屋がありました。私は廊下を歩きながら何気なく開け放たれたドアから広間の中へ目をやりました。広間の正面には祭壇があって、その中央には黒い縁取りで囲われた大きな額の中に遺影がありました。遺影にはまだ20代と思われる若い女性の写真が飾られていました。写真の中の女性は笑顔でこちらを見つめていました。私はその顔を見ながら

「まだ、若いのにかわいそうに…」

一瞬、そう思いました。私がその部屋を通り過ぎようとしたとき、遺影の中の女性の目が明らかに動きました。通り過ぎようとする私を追いかけて、目が”ギョロッ”と私を睨んだのです。

 

その瞬間、心の中に深い悲しみや怒り、そして無念の思いがこみ上げてきました。それと共に顔の右側から右肩、右腕に激痛が走りました。私は激しいめまいを何とかこらえながら、廊下の端に置かれていたソファに転がるように倒れこみました。そして一瞬にしてこの女性が体験した状況を理解しました。

 

この女性は仕事中に買い物を頼まれて、会社の近所まで歩いて出かけました。買い物を済ませて、両手に紙袋を抱えながら、青信号の横断歩道を渡っていました。そのときに左折してきた大型トラックにひかれて、体はトラックの下にもぐり巻き込まれました。そして顔の右側から右肩、右腕までを2重になった大型トラックの左後輪に踏まれました。頭蓋骨は踏みつぶされて、顔の右半分は無くなりました。つぶされた顔から大量の鮮血があふれ、赤紫色の脳が弾け飛んでいます。右腕は2重になった後輪の間に挟まれて、ありえない方向へねじられた後、肩のあたりでちぎれました。

 

近くでこの状況を目の当たりにした人たちは恐怖で言葉を失い立ち尽くしています。しばらくしてからようやく「救急車、救急車」と叫ぶ声がオフィス街にこだましました。運転手はすぐに車を止めて降りてきました。まだ、30歳ぐらいの作業着を着たがっしりとした男性です。ただ、自分の引き起こしたあまりにも悲惨な光景に放心したように歩道のへりにしゃがみこんでいます。

 

事故にあった女性は痛みは感じませんでした。ただ、魂はすでに肉体を抜けて、まだ、この状況を理解できないままに、トラックの近くにたたずんでいます。空は冬晴れで青く澄んで遠くで鳥のさえずりが聞こえます。その中をけたたましいサイレンを鳴らした緊急車両が何台もこちらに近づいています。

 

ユングが言うように、人間の潜在意識の下に人間の共通認識の領域(=集合的無意識の領域)があるなら、生きている人間であれ、物であれ、死体であれ、私がその人を意識した瞬間に魂と魂がつながることは可能になります。私は肉体は借り物で、その中にその人の本質である魂が入っていると感じています。画像はより強くその人を意識できます。ですから画像を見た瞬間に、気持ち悪くなることや寒気がすることや同調して霊の憑依を受けることがあっても何ら不思議ではないのです。