今年は1月13日に全国各地で成人式が行われました。成人式とは文字通り、子供から成長して、大人として認められる日です。大人になった分、子供の頃に付きまとったさまざまな制約から解放されますが、それと同時に大人としての責任も負うことになります。

 

それでは霊的な意味でも、20歳、或いは18歳を境にして、大人として成熟することはあるのでしょうか。そもそも霊的な感性は年齢とともに変化していくものなのでしょうか。答えは「イエス」になります。霊的な感性は年齢よりも個体差による違いが大きいのですが、年齢もはやり関係してきます。

 

一般論で言えば、この世に生を受けてから間もない幼児期は、霊的な感性が鋭くなります。それが少年期を過ぎて思春期を迎えるころまでは、あまり衰えることはありません。幼児期の研ぎ澄まされた感性は、思春期まで横ばい状態で続くこともありますし、さらに鋭くなっていくこともあります。

 

乳幼児は大人のように知識を持っていませんし、人生経験を積んでいるわけでもありません。知識や経験は生きていく上で自分を守る武器になるものです。それが無い乳幼児は、生きていく上でとても無防備なのです。ですから乳幼児が生きていくためには、親の庇護が必要ですし、子供自身も自分を守るための一つの“すべ”として、霊的な感性は多くの乳幼児に備わっています。

 

昔はよく人生最大の買い物である家を購入するときは、赤ん坊を連れていくと良いと言われました。赤ん坊には霊的な感性が備わっています。ですからもし購入予定の敷地や建物に入った時に、赤ん坊が大声で泣きだすような物件には、赤ん坊でしか感じられない悪い因縁や悪いものが憑いている可能性があるとする考え方です。

 

乳幼児がよく室内の天井を見上げて、何かを喋っていることはありませんか?それは大人から見れば、何か夢の世界の延長のように感じるかもしれません。ただ、そこには乳幼児にしか見えない何かがいることもあるのです。

 

そして思春期までの少年期も、まだまだ人生経験が足りずに、知識も不足しています。したがってこの時期になっても霊的な感性が備わっていることも多くあります。小さいころによく空想の世界のお友達の話をする子供がいます。それが思春期になってもまだ続いている人もいます。大人から見れば、子供が語るのは取り留めのない話です。しかし、子供からするとそのお友達の姿をしっかりと見て、お友達と語り合っていることもあります。

 

やがて思春期を過ぎて成人になります。そうなるともうたくさんの知識を吸収して人生経験も溜まっていきます。それと共に霊的な感性は衰えていきます。普通には目に見えない世界の感性という曖昧なものに頼って生きるよりも、人生経験やしっかりとした知識やデータに基づいて生きていく方が、はるかにリスクが少なく安定した生き方を選択判断ができるからです。

 

ただその時期を過ぎても霊的な感性が衰えない人もまれにいます。そういった場合、その感性は霊体験をするごとに研ぎ澄まされてむしろ鋭くなっていきます。それは霊的な間口が開いたことによって、霊体験をする可能性が高くなっていくからです。

 

以前このブログで霊的に開いている子供のことを紹介しました。一人は母親から夕食後に「パパは今どこにいるの?」と訊かれて、漢字の書けない幼稚園児が画用紙に“神楽坂”と書いた話です。私はこのお子さんと何度も会っていますが、私に興味があるようで、子供とは思えない感性で私に接近してきます。

 

もう一人は太平洋戦争中の南方での海戦の様子を史実に基づいて画用紙に書いた幼稚園児です。知っているはずのない状況をあたかも自分がそこにいたように詳細に記したのです。子供はよく“無限の可能性がある”と言います。しかし私から見ると可能性だけでなく、子供にしかない力を持っていることも多くあるのです。