人間は死んで肉体が無くなった後、魂は肉体を離れて現世に留まります。そして生まれた場所から死んだ場所までを何度も辿りながら、自分の人生を振り返ります。自分の人生を振り返れば、良いことも悪いこともあるのが当たり前です。また、人生では誰もが嘘をついた経験があるように、善い行いも悪い行いも誰もがしてきたはずです。特に強く人を騙したり、裏切ったり、欲望に執着したりして生きてきた人は、人生の意味をなかなか見出せません。そのため普通の魂よりも長く現世に留まり、答えを探し続けることになります。誠実に悔いのない人生を生きてきた人は、現世に執着するものが軽くなりますので、スムーズにあの世へ上がり、輪廻転生をして早く来世へ生まれ替わります。

 

今、生きている人に「人生とは何か?」と質問する人がいます。この問いにほとんどの人は明確な答えを出せません。それは人生という物語が、まだ最終章まで完結していないからです。ストーリーの半ばで「どんな物語でしたか?」と訊かれても、答えようがないのと同じです。私もまだその答えは分かりません。今、まさにその答えを探している最中です。ただ、分からないことを分かっているだけです。

 

魂は死んだ肉体を抜けて現世に留まっている間、自分の人生を総括してその意味を見出す旅に出ます。そのときに生まれた場所から死んだ場所までを往復する中で、すぐに通り過ぎる場所と何度も訪れる場所があります。たとえば強く自分の思いを残している場所には何度も訪れます。大好きな人や大切な人のいる場所や、逆に大嫌いな人や憎しみや恨みを持った場所にも何度も訪問します。そしてその意味を探します。

 

また、欲望に撒かれて執着している場所も何度も訪問します。それは物質欲・金銭欲・性欲・出世欲・食欲など、さまざまな欲の対象となった場所です。具体的には、競馬・競輪・パチンコなどの博打を行う場所。そして、水商売や風俗店などが集まる繁華街。また、自分が出世を目指して何十年間も働いてきた会社に留まる魂もあります。

 

思いの残る場所でいえば、一番多いのは学校です。勉強やスポーツや芸術に明け暮れた若いころの思い出は死んだ後でもはっきりと心に刻まれています。たくさんの観光客が集まる観光スポットも思い出の場所になることが多いので霊はたびたび訪れます。これらの魂は現世に対する執着や、死んでもなお求め続ける欲望の強さゆえに、あの世へ上がれなくなってしまった不浄霊とは違います。死んで肉体が無くなった魂が普通に辿る道筋です。しかし、死んで肉体のない魂=霊であることは同じです。したがって霊の影響は生きている人間に対して確実に伝わっています。

 

霊的に悪い場所というと、病院やお墓、或いは戦災や災害のあった場所になります。ただ、それと同時にこれらの場所もとても要注意なのです。私は霊の影響は頭よりも先に体が感じ取って反応が出ます。昔から学校にいて霊を見たり感じたことが何度もありました。中には私が一人で教室にいるときに、壁を叩いたり蹴ったりして大きな音を出す者や物を倒して驚かせてくるものもありました。霊がこういったことをしてくるのは、自分の存在を示すための示威行為です。

 

どこの町にもその町の”学校の怪談“があります。誰もいない音楽室からピアノの音が聞こえたとか、理科室の人体模型が動いたといった類の話です。学校が誰もが思い出の多い場所であることを考えると、それだけ霊が集まりやすい場所になります。その結果、学校で怪奇現象が度々起こったとしても、不思議なことではないのです。