たとえば、横浜市中区大芝台には、地元では”南京墓地”と呼ばれている”中華義荘”(中国人墓地)があります。ここは明治6年(1873年)に、元々は、山手の外人墓地に埋葬されていた華人・華僑が移されてここに埋葬されました。ここは元々は、ご遺体を中国へ運んで埋葬するための仮埋葬の場所でしたが、次第にそのままこの地で埋葬されるようになりました。明治25年(1892年)に中国人商人の寄付などによって、ここに地蔵菩薩坐像を本尊とする立派な廟や納骨堂が建てられ、数千人の中国の方がここに眠っています。南京墓地はJR根岸線の山手駅から住宅街の中の狭い坂道を30分近くも上り下りしてやっと到着します。私も一度訪れたことがあるのですが、ここにある建物にはいくつもの魔除けのアイテムが埋め込まれています。そして中華義荘の敷地全体には、強い結界が張られています。そのため中華義荘の中や周囲で不浄霊を感じることはなく、墓地とは思えないほどきれいに管理されていました。

 

他に横浜市保土ヶ谷区狩場町にも”英連邦墓地”があります。ここは1946年に保土ヶ谷児童遊園地と保土ヶ谷錬成場が接収されて戦没者墓地が作られました。ここは3ヘクタールの土地にイギリス1013基、オーストラリア278基など、合わせて1518基の墓碑が建てられています。ここは1952年に日本とイギリス連邦占領軍との平和条約が発効されて、占領解除となりました。ここは実は私の育った実家から歩いて10分ぐらいの場所にあります。墓地の中はきれいに整備・管理されていて公園のようになっています。

 

日中は誰でも入ることができますので、子供の頃は近所の子供たちと一緒によく遊びに行きました。また、1975年にエリザベス女王が日本を訪問されたときに、この墓地を訪れています。そのときに通りまで出て、エリザベス女王に手を振ったことも良い思い出です。女王は沿道の人たちに笑顔で応えていらっしゃいました。さらに、1995年にダイアナ元妃が、そして2015年にはウイリアム王子も訪れています。

 

イギリス王室の方々が訪れる割には、山手の外人墓地のように有名ではありません。その分、いつでも空いていますし、夜に周囲を通ると怖いと感じることもあります。以前、このブログでも書きましたが、私も車で実家へ帰る途中に、ここで軍人の霊を何回も見ています。時には1体や2体の霊ではなく、集団で行進しているところに遭遇したこともあります。日本できちんと埋葬された後も、国へ帰りたいという思いを強く抱いている霊もたくさんいます。そんな強い思いが執着を生み出して、あの世へスムーズに上がれないこともあります。

 

これらの外人墓地とは違って、数多くの怨念が渦巻いていて非常に危険な状態にあるのが、横浜市中区仲尾台にある”根岸外人墓地”です。ここは私が今までに訪れた数多くの心霊スポットの中でも、かなり悪いレベルです。ここは文久元年(1861年)に山手の外人墓地が手狭になったために作られた市営墓地です。第2次大戦後は米軍に接収されて米兵と日本女性の間にできた嬰児が数多く埋葬されていると言われています。それも手厚く埋葬するのではなく、ほとんどは墓地の敷地内に遺棄されていたのです。ここは元々窪地になっていて、当時は墓地と言っても草木が雑然と生い茂り、周囲からは見にくくなっていたのです。そのため米軍のジープが夜になるとよく止まっていたという目撃談が今でも残されています。

 

今、この墓地を管理している横浜市保健福祉局健康安全部環境施設課では、「この話は根拠のない噂話」として否定しています。それはこの墓地に埋葬されている人を示す資料が戦後の混乱の中で何一つ残されていないからです。しかし、一時期荒れ果てていたこの墓地は地元の小中学生やアメリカ人のボランティアによってたびたび清掃・管理されてきました。そのときのボランティアが、草むらや地面の中から嬰児の遺体と一緒に埋められた千本に近い朽ち果てた十字架を見たと話しています。私も強く危険を感じたために中へは入りませんでしたが、周囲に立つだけでも強い怨念の渦に飲み込まれそうで慌ててマントラを唱えたことを覚えています。母親の胎内で命を宿しながら、生まれてくることさえできずに、無残にも遺棄された無念さは強い怨念と共に今でもこの地に残されているのです。