ドイツには産業の発展に貢献してきた”マイスター”という資格制度があります。マイスターは技術だけでなく、生き方そのものも教える良き指導者です。日本でも職人が手に職をつけようとするときは、昔は親方の家に住み込んで起居を共にして仕事を覚えました。私が時々通っている都内の寿司屋の親方は、中学を卒業した後、親方の家に住み込んで、月給3万円で働き始めました。勤め始めて最初の3年間は出前と掃除ばかりやらされて、寿司の握り方を教えてもらったことは一度もありませんでした。それでも先輩職人や親方の握り方をいつも眺めていて、周りの目を盗んでは握り方の練習をしていたそうです。そして寿司は握れなくても、親方とお客さんとの会話や間合いを勉強して接客の方法を学んでいきました。魚河岸では親方が仕入れる魚を見て、良い魚を選ぶ目を養い、魚河岸の人間たちとの付き合い方を学びました。そうやって仕入れ代を支払うところから、寿司を提供してお客さんから料金をいただくまでの流れを時間をかけて覚えていったのです。そして30歳で独立して、今は職人を5人も抱える大きな寿司屋を営んでいます。
今は便利な世の中になって「寿司職人養成学校」が運営されています。ここでは養成コースによって異なりますが、概ね100万円ぐらいの授業料を支払えば、最短2か月で寿司職人として働けるようになるそうです。私は一度、この寿司屋の親方に「寿司職人養成学校」について尋ねたことがあります。親方はその人柄から「養成学校」をあえて否定することはありませんでした。ただ、親方が言うには、「魚の選び方や仕入れ方や握り方という目に見えるところにはない部分にこの仕事で成功できるのかどうかがかかっている」と話していました。学校では技術は教えてくれますが、それを覚えたからといって寿司屋として成功できるわけではないのです。その目に見えない空気感を覚えるにはきっと養成学校では補えない実践の時間が必要になってくるのでしょう。
以前、ホテルのバーでお酒を飲んでいる時に、ふと疑問に感じたことがあります。同じカクテルベースのお酒を使って同じレシピでカクテルを作っても、一流ホテルのベテランバーテンダーが作るカクテルと、普通のスナックで提供されるカクテルでは味が異なるのです。私はそのポイントは、”バーテンダーとお客さんとの距離感にある”と思いました。私がそのバーに入るときに、一緒にいる人間が仕事の関係者なのか、学生時代の友人なのか、或いは女性と二人なのか、その状況に応じてベテランのバーテンダーはいつも気持ちの良い距離感で接してくるのです。私が一人で入るときも同じです。私が何か愚痴を言いたいときは、ちゃんと聞き役になってくれますし、頭を整理したいときは、あえて話しかけてきません。その絶妙な距離感がお酒の味をさらにおいしくしているのです。これは単にレシピ通りにカクテルを作っていてるだけでは醸し出すことは出来ません。
”行間を読む”という言葉がありますが、スポーツでも勉強でも仕事でも、大きな成果を求めるならなおのこと、単に技術の習得にとどまらず、自分の生き方をそこへシフトしていく必要があります。そういった意味で、自分にとってメンターと呼べる存在を持てることは、とても有効なことになります。