夕張の”泣く木“と言えば出てくるのは、山梨県にある初鹿野諏訪神社のご神木です。この神社はJR中央本線の甲斐大和駅の近くにある小さな神社です。山間の小さな村の中にある無人の神社ですから、見た目の印象はさびれた感じが漂っています。しかも山梨県の神社庁で初鹿野諏訪神社を確認すると、この地に登録されているはずの神社が存在しないのです。古くなった小さな無人の神社では神社庁の登録が何かの理由で抹消されることもありますので、元々神社の法人登録がされていなかったか、抹消されたのだと思います。
ただ、境内に入ると本殿の立派な彫刻は目を引きます。山梨県指定の文化財として登録されている彫刻は、鳳凰や麒麟、龍などが、本殿のあちこちに見事に彫られています。さらに神社の前にある案内板が注目です。そこには平成元年三月、大和村教育委員会が、本殿の裏にあるご神木の朴の木が、樹齢二千数百年を経ているといわれていることや、日本武尊がこの地で休んだときに、杖にしたものが発芽したと伝えられていることを紹介しています。特に驚くべきは、次の一文です。
「古来からこの神木を疎か(おろそか)にすると、不祥の事件が起きると信じられているので、神意に逆らわないようにしている」
明記しているのです。
民間伝承や地元の噂で、神罰や祟りが言い伝えられることは良くありますが、村の教育委員会という公の組織がそれを肯定して明文化することはめったにありません。それだけこの神社のご神木は禁忌を犯す者に強い祟りがあるということなのでしょう。
明治36年にこの神社の近くの集落で端午の節句のお祝いが行われました。そのとき柏餅を包む柏の木が無かったために、ご神木の朴の木から落ちた葉っぱを柏の葉の代用にして柏餅を包みました。ご神木はその枝木を傷つけることはもちろん、落ち葉も勝手に拾ってはいけないと言われています。村人は落ち葉なら問題はないと考えてそのようにしたのです。その結果、この柏餅を食べた多くの村人が原因不明のはやり病にかかり、この集落はほぼ全滅したと言われているのです。
また、昭和28年には、近くを通る中央本線の線路上に、ご神木の朴の木の枝葉が伸びてしまったために、やむを得ず、朴の木の枝葉を切り落としました。この作業は6人の保線員が作業を行いました。その中の4人は作業中に、背後から迫ってきた列車に引かれてこの場所で命を落としました。枝葉を切り落とす前にお祀りを行いましたが、その時に神職の代わりを務めた作業員はこれからほどなくして近くの池で溺れて溺死しました。残る一人の作業員は、命までは取られなかったもの、その後、生死にかかわるような大けがをしたのです。
昭和43年には中央本線の線路を拡張するために、このご神木を撤去する計画が立てられました。その議論をしている最中に、神社の近くにある大和中学の生徒を乗せた修学旅行のバスが、甲州街道の韮崎バイパスで無免許運転の少年が運転するトラックと正面衝突したのです。そして生徒3人、教員2人、運転手1人の6人の命が奪われました。
動かしてはいけないもの、立ち入ってはいけない場所にむやみに立り、禁忌を犯す者は、そこに祀られているものから厳しい神罰を受けることになるのです。(4)へ続く。