第491回 動かせぬもの(1)
私は普段はほとんど車で移動しています。前回のブログで書きましたが、電車に乗っていると人と腕が触れたり目が合った時に霊の影響を受けることがあるからです。一方、車の中は何重にも結界を張って、パワーストーンやお札など、霊に対抗できるアイテムで固めています。
最近では除霊や結界を張るために、東京から兵庫県川西市まで車で行ったのが、最も長距離だと思います。先日は、浄霊で新潟市まで行きました。私からすると、移動するときに時間や労力がかかったとしても車の中の方が安心できるのです。
そうやって普段から車で移動していると、時におかしな景色を目にすることがあります。まっすぐな直線道路に何かを避けるように柵がめぐらされて、道路の一部だけ迂回させられているのです。しかも、柵の中に生えている樹木をみると注連縄(しめなわ)が絞められています。
注連縄は私たちが住んでいる俗世の世界と神聖な世界を分けるための一種の占有標のことです。この2つの世界を隔てる結界や魔除けの意味もあります。道路の真ん中に注連縄を絞めた巨木があるということは、この中が神聖な世界であることを示しています。ですから無断で立ち入ったり、枝を折ることはご法度です。場所によってはご神木の落ち葉を拾うこともいけないと言われています。禁忌を犯せばおのずとその人には災いが降りかかります。ですからまっすぐな道路をわざわざ迂回させてもその土地に踏み込むことを許さないのです。そこまでして神聖な場所に立ち入ることを許さないのはそれなりの理由があります。多くの場合、禁忌を犯した者の何人かに災いが降りかかり、命を落とした人も出ているからです。
私はこのような場所を車で通り過ぎるたびに、大手町にある平将門の首塚を思い出します。日本有数のオフィス街の真ん中に首塚が残されているのはどう見ても不自然です。以前、このブログでも触れましたが、それでもこの土地から首塚を移転しないのは、禁忌を犯した者たちへの災いが実際に何回も起きているからです。
以前、仕事で北海道へ行ったときに、“不自然に道が迂回して若木に並んで”泣く木跡“と書かれた石碑が建てられていた場所がありました。場所は札幌から東へ50キロほど行った夕張郡栗山町です。ここを通る国道234号線の真ん中に突然、石碑が建っているのです。この土地に立って最初に感じたのは、たくさんの人の悲しみや怨嗟の声です。そして石碑の周囲には複数の人のご遺体が埋まっていたように感じました。そしてここに埋められていた人たちの魂は、今でもこの木を拠り所にして、成仏することなくこの場所にとどまっています。(2)へ続く。