先日、うかがった家には、幼稚園児の女の子がいます。私に相談した方のお子さんです。この家にはもう何十回も来ています。この子のお母さんはもう十年以上も前から私に度々相談しています。ですからこの女の子は生まれた時から何度も見ています。以前は私をひどく警戒していて、私とまともに目を合わせませんでした。警戒というよりも恐れているという感じでした。しかし、何度も顔を合わせているうちに少しずつ慣れてきたようで、今では私が家にいくと自ら私の方へ寄ってきます。
この子が霊的にとても開いていることは、赤ん坊のころから感じていました。お母さんともそんな話を何度もしました。私は自分が生まれた時から霊的に開いていたことで、親や周囲の大人からはむしろ疎ましく思われて、子供の頃から嫌な思いをたくさんしてきました。子供は素直ですから、自分の目で見たことや感じたことをそのまま親に話します。それが人の不幸や大きなアクシデントであっても、何のためらいもなくそのまま口にします。しかもそれはしばらくすると現実のものとなっていくのです。私は親に連れられて子供の頃に精神病院へ何度も行かされました。そして行動観察や検査を受けさせられました。親からすれば私は自分たちの理解を越えた得体のしれない不可解な存在だったのでしょう。
私はそんな親の言動や態度に、いつもひどく傷つけられていました。だからこの女の子が私のような嫌な思いをしないように、お母さんに話をしたのです。
「娘さんを否定しないで上げてください。娘さんは、自分が見たり感じた世界をお母さんにもわかってもらいたいのです。ですからお母さんが自分で理解できない世界のことでも、娘さんの話を肯定して相槌を打ってください。それで娘さんはとても救われるのです」
ただ、現実には、お嬢さんがこういった感覚を持っていることで、すでにお父さんは娘さんを避けています。私の両親もこういった世界はまったく認めず、”非科学的な世界”には拒否感を持っていました。だからお父さんの気持ちは私にはよく分かります。さらに娘さんに悪意はないのですが、まだ大人の事情を忖度することも、上手く生きるすべも持っていません。自分が感じたり見えた世界をストレートにお母さんに話すのです。そのおかげで、夫婦の関係がこじれてしまったことが何度もあるのです。
以前、このブログで、母親から「パパはどこへいるのかしら?」と聞かれた幼稚園児が、まだ漢字など書けるはずがないのに「神楽坂」と紙に書いた話を紹介しました。この女の子も土日に仕事の接待でゴルフへ行っているはずのお父さんが、「今、女の人とお風呂に入ってる」と口走ったり、残業で朝帰りをしたはずが、「女の人とお酒を飲んできた」と言って夫婦喧嘩を引き起こしたことがあるのです。そのたびに父親からすると、自分の娘ではあっても疎ましい存在になっていったのです。
私は親に嫌われたり、友達に嫌われたり、先生に嫌われながら、この感覚を持つ者の処世術を身に付けてきました。人間不信になり、自己嫌悪にさいなまれながら、本音と建前を使い分けるすべを学んだのです。できればこの子には、そんな辛い思いをすることなく、すくすくと成長してもらいたいと切に願っています。